特別企画

漫画家2世が原稿保存の難しさを語る「親の生原稿、どうしてる? 〜漫画家二世のぶっちゃけホンネ!公開陳情会〜」【IMART2024】

【IMART2024】

11月12日~16日 開催

 11月13日、IMART2024において、「親の生原稿、どうしてる? 〜漫画家二世のぶっちゃけホンネ!公開陳情会〜」と題するトークセッションが実施された。本セッションは、漫画のページの分だけ存在する生原稿に着目したもの。最近ではアーカイブセンターの創設に向けた協議やシンポジウムが行なわれたり、生原稿の保存問題に対する関心が高まっている一方で、中々表に出ない漫画原稿を実際に抱えている漫画家やその家族の実情、本音を公の場で話す公開陳情の場として開催された。

 本セッションでは、漫画家・バロン吉元氏の娘であり、自身もアーティストとして活動しながら、バロン.プロにてマネージャー、リイド社ではコミックレーベル「トーチ」の編集者をしているエ☆ミリー吉元氏がモデレーターを務め、ちばあきお氏の息子で、ちばあきおプロダクション代表の千葉一郎氏と、上村一夫氏の娘で上村一夫オフィス主宰の上村汀氏がそれぞれ登壇した。

Peatix「IMART2024」アーカイブチケット販売ページ

モデレーターを担当したエ☆ミリー吉元氏。生原稿の保存に関しては「もう、限界です」と話していた
登壇した上村一汀氏(左)と千葉一郎氏(右)
バロン吉元氏の漫画原稿。左側の原稿は一切のレタッチをしていないもので、紙に劣化が見られる。右は生原稿をスキャンし、レタッチをしたもの。何らかの復刻や、プロモーションを行なう場合はこうした作業をしなければ書かれた当初の状態にすることができないという

膨大な枚数の生原稿をどう保存するか

 エ☆ミリー氏によると、登壇者にはそれぞれ父親が漫画家で1940年代生まれ、そして親の漫画がすべて手描きという共通点があるとのこと。生まれたときからマンガ原稿が家にあるという境遇も同じで、全員が父親のプロダクションの代表としてマネジメントや版権管理等を行なっている。

 ごく一部の大きなプロダクションの場合はリスト化やアーカイブを行なう担当者がいるという。しかし、登壇者の所属するような小さなプロダクションの場合は展示や復刻、出版社からの要望などで生原稿が必要になった際は、自身の手で生原稿を管理し、箱から出し入れする必要があり、そうした親の生原稿を抱える現状に限界が来ているとのこと。

エ☆ミリー氏が制作した生原稿の保存問題を扱った双六。かつてイベントで使用されたもので、今回のセッションもこの双六に沿って進行した

 セッションではまず、父親の生原稿の保存を意識し、保存に携わるようになった切っ掛けを紹介。エ☆ミリー氏は大学生の頃に倉庫にある生原稿を発見し、父親の画力に圧倒されたが、その劣化にショックを受けたことがきっかけとのこと。生原稿は約3万枚ほどあり、助けてくれる人を探そうという気持ちでバロン吉元氏のマネジメントを始め、生原稿を意識するように。

 千葉氏はプロダクションの代表を継いだことが主な理由で、子供の頃から父の仕事部屋で生原稿を見てきたという。一方の上村氏は、外に事務所を持っていた父、一夫氏が亡くなった際に、大量の原稿が戻ってきたことが切っ掛けで、原稿を実際に見た際は圧倒され、同時に「どうしよう」と思ったとのことだ。

 生原稿が家に何枚あるか? という質問に対し、千葉氏は「そんなに多い方ではないと思う」「コミックスの枚数から逆算して把握している」とし、上村氏は「我が家はスチール棚に茶封筒に原稿がぎっしり入っていて、『同棲時代』だけでも1,000ちょっとある。そこからざっくり計算してみたら大体15,000枚はある」とした。尚、エ☆ミリー氏の家には3万枚近い原稿があるとのことだ。

エ☆ミリー氏は自室で生原稿を保存している。かつて生原稿に四方を囲まれ寝ていた時は、夜な夜なうなされるなど精神的に悪影響があったため、現在は収納家具を導入することで睡眠環境は改善されたとのこと。このエピソードを聞いた上村氏は、生原稿に触れると古い埃や何とも言えないにおいがする。身体にも悪い、と話した

 実際の生原稿の保存に関してエ☆ミリー氏は、全ての漫画原稿をスキャンし、どの作品がどの程度の枚数揃っているかをデータ化し、綺麗な封筒に入れ替える作業をしているという。特に貸本時代の原稿は、当時の封筒に入っており、原稿に悪影響を懸念していた。現在は半分にいかないくらいの原稿の詰め替えが終わっているとのこと。

 一方、千葉氏、上村氏両名は茶封筒は当時のものをそのまま使用しているとのことだ。上村氏によると、復刻されるような人気作品は、出版社の方で詰め替えられるので綺麗な封筒に入っており、逆にそうでない作品は当時のもののままで返却されたとのことだ。

1970年代に連載された「現代柔俠伝」の封筒。画像は比較的綺麗なものとのこと

 なお、エ☆ミリー氏によると封筒の中に纏まって原稿が入っていないこともあり、中にはバラバラにでてくる物や、揃っているように見えて1枚足りないものなどが存在するという。そうしたものが出てきた際、どの作品のものか照合するためにバロン吉元氏の漫画を初めて読み、その魅力を知るキッカケになったという。」

 登壇者の両名も似たような経験をしたようで、千葉氏は「ぽろぽろあり、いずれは整理しないとと思っているが、“いずれ”がいつになるかはわからない」、上村氏は「父は短編なども含めると描いた作品が多かったのでわからない原稿が凄くたくさんある。『わからないボックス』を作って入れて、なにかわかったらそこから移すようにしています」とそれぞれ話した。

 また、上村氏に「単行本に収録されていない漫画の原稿をどうするのか」と聞かれたエ☆ミリー氏は「どうにもできない。全然雑誌が手元に残っていない。昔、漫画家は住所を公開していたりして、訪ねてきたファンに単行本や雑誌、著者献本分を差し上げたりしていたの で。今はオークションや古本屋で集めているくらいです」と答えた。

 それに対し上村氏は「私もオークションで買っています。ありがたいことに、ファンが自分の持っているコレクションの古い雑誌を送ってくれることがあり、参考にしています」と話した。当時の雑誌は、国会図書館にも所蔵されていないものも少なくなく、オークションでも高騰しているものがあるとのことで、集めるのには苦労が絶えないようだ。

漫画原稿の重さにも悩まされるそうで、生原稿をいれた段ボール箱は20キロにもなるそうだ。画像はバロン吉元氏がエ☆ミリー氏のために描いた「安全な段ボールの持ち方」

紙原稿ならではの劣化に悩む

 エ☆ミリー氏によると生原稿故の破損として、漫画原稿のホワイト(修正液)が塗られた部分が他の原稿にくっつき、剥がすのが難しいこともあるそうだ。また、バロン吉元氏が若い頃(1960年代)は、「版下」としての役割を終えた原稿は作家の元に返却されず、廃棄されることもあったとのこと。

原稿にセロテープが貼られていたり、様々な指示が絵の上に直接書かれていたりすることもあるとのこと。こうした原稿からは当時の「版下」という感覚が垣間見られる

 また、生原稿の整理を進めている毎に、現状手元にない行方不明の原稿の存在を把握していくことになる、とエ☆ミリー氏。原稿を持っていた編集社が倒産してしまうと、どこに連絡をすればいいかわからない状態になってしまうとのこと。

 上村氏は、今年に入って50年以上前の原稿を数枚、返却してもらったそう。他にも会社の倒産をきっかけに返却された原稿もあるそうで、これは「非常にありがたかった」と語った。

原稿の「ヤニ汚れ」が問題になることも。エ☆ミリー氏曰く、ビンテージ感があって嫌いじゃないが、劣化も激しくなる、とのこと

 また、エ☆ミリー氏はメモ書きや指示書、色指定、原稿袋など、生原稿以外の当時の歴史を振り返るうえで「重要かもしれない」ものを捨てられないそう。これによりどんどんスペースが圧迫されていくそうだ。千葉氏もキャラクターを考えていた際のメモ書きなどが残っており、保存しているとのこと。一方の上村氏はそういった資料を一夫氏が残さなかったと話した。

当時の出版の過程が垣間見える資料も保存しており、画像は使い回された封筒類。様々な漫画家の名前が線で消され、巡り巡ってバロン.プロに辿り着いた封筒も度々発掘されるという
当時上村一夫氏が自身でデザインし、使用していたオリジナル原稿袋が出版社内で使い回された結果、最終的にエ☆ミリー氏がバロン.プロで発見したことも
漫画家の子供が集まる「漫画家二世会」では、親の原稿管理に悩む人の話を聞き、それによって励まされることも少なくないそうだ

 続いて、海外から生原稿を売って欲しいという連絡が少なくないことや、大手オークションに生原稿が出品されていることが話題に。これに対し上村氏は「海外にいってしまうことが将来的にどうなんだろうと思ってしまうので積極的になれない」としつつも、「アートとして見てくれることは嬉しい」と複雑な心境を語り、千葉氏は「維持保存できる方は自分の代だけでも置いとかなきゃ、という人が多いとは思うが、中々そういう訳にはいかない人も少なくないのだと思う。オークション等で出てくると複雑な気持ちになる」と話した。

 エ☆ミリー氏は「最近では漫画の原画展が美術館で開催されることも少なくない。学芸員の方は丁寧に扱ってくれるので嬉しく思う」「でも、戻ってくると家の押し入れに収納するような日常が戻ってくる。その中で劣化のスピードの早さを身をもって感じる」と語った。また、千葉氏は原稿の劣化が怖くて触らないようにしているそうだ。

 最後に、生原稿の保存という問題の先の見えなさを踏まえたうえでの未来についての理想を登壇者がそれぞれ語った。

 千葉氏は「現実問題として、安心して原稿を預けられる場所ができないかと常々思っている。そういった場所ができて、100年、200年経っても歴史を作った先生方の生原稿を見られるということがあれば、希望したい」

 上村氏は「漫画美術館やコレクターの方など、熱心に考えてくださる人も増えたので以前より心配はしなくなった。でも、そういった機関が預かってくれるのは有名な作品だけかもしれないと最近気付いた」「それ以外の原稿を誰に受け継いでいくかを考えつつ、『こういう漫画があったんだ』ということを知ってもらうための、アクションをしながら保存をしていけたらと思います」と語った。

 エ☆ミリー氏は「将来私が父の原稿を管理できなくなったら一体どうすればいいのか、答えは出ていません。なのでこの双六は、『上ラナイ』で締めくくられています。現在進行形で生原稿を自身では抱えきれず、引取先も見つからず、どんどん処分されている漫画家の方々もいて、相談を受ける機会も度々あります」とした上で、 「国内に十分な保存と活用を可能にする施設や環境があれば、生原稿をそこで『遺したい』と思う人は少なくないはず。しかし現状そういった施設が整備されていない結果として、生原稿の未来は、漫画家やその家族がそれらをどこまで、いつまで保存できるのか……というそれぞれの意思や家の事情に委ねられているのが現状で、“どう遺すか“の方法や選択肢も非常に限られている状況です。何かいい未来がきたらいいなと切に願うばかりです。」とセッションを締めくくった。