レビュー

毒を愛する若き伯爵が織りなす背徳のゴシックミステリー「伯爵カイン」シリーズ

著者:由貴香織里
連載:花とゆめ(白泉社 1991年~2003年)
既刊:白泉社文庫全6巻(白泉社 2014年)
白泉社文庫「伯爵カイン 6」(由貴香織里/著 白泉社)

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 白泉社の少女マンガ雑誌「花とゆめ」は、昨年2024年に創刊50周年を迎えた。これを記念して「花とゆめ展」が全国各地で開催されており、12月6日から熊本県立美術館にて開催される。

□「花とゆめ展」公式サイト

 「花とゆめ」は男女の恋愛ものが中心だった当時の少女マンガ誌の中で、「ガラスの仮面」「スケバン刑事」「少女鮫」「紅い牙・ブルーソネット」「パタリロ!」等、単なる恋愛ものの枠を超えたストーリーの作品によって多くの読者を獲得した雑誌だ。また「ぼくの地球を守って」による前世・転生ブームといった社会現象を起こし、「フルーツバスケット」や「神様はじめました」「花ざかりの君たちへ」「ここはグリーン・ウッド」ほか、多くの作品がアニメ化・実写化しているなど、話題を集め続けてきた。

 そんな多くの人気作品を出してきた「花とゆめ」50年の歴史の中で、筆者が最も惹かれ、心に残っているのは由貴香織里氏の「伯爵カイン」シリーズである。由貴氏の作り上げた耽美で背徳的なゴシックミステリーの世界、そしてその世界に生きる、報われぬ愛を追い求めるキャラクターたちに降りかかる悲劇の連鎖に魅了され、囚われてしまったのだ。本稿では、そんな本シリーズの魅惑的な世界を紹介していきたい。

どうしようもなく惹かれてしまう由貴氏の描くゴシックミステリーの世界

 由貴氏は1987年に「夏服のエリー」でデビューして以来多くの作品を発表してきた。今年8月には代表作のひとつである「天使禁猟区」の続編であり同作の主人公・無道刹那が再生した数十年後の東京を舞台とした「天使禁猟区 -東京クロノス-」の連載を終了させるなど、長年にわたって活躍している。また、作品の一部はドラマCDやOVA化、ドラマ化されており、さらに、ゲーム・「マイベリーネ」シリーズのキャラクターデザインも手がけている。そんな由貴氏の最大の魅力は、圧倒的な独特の世界観だ。耽美、ゴシック、禁忌、狂気、退廃、猟奇……そんな言葉が詰め込まれたかのような世界を、美麗な絵柄で描いている。

 そして、そんな由貴氏の世界を最初に確立させた代表作が「伯爵カイン」シリーズだといっていいだろう。「伯爵カイン」シリーズは、「忘れられたジュリエット」「少年の孵化する音」「カフカ -Kafka-」「赤い羊の刻印」「ゴッドチャイルド」からなる、17歳の若き伯爵カイン・クリストファー・ハーグリーヴスを主人公としたゴシックミステリーだ。最初の2冊と「ゴッドチャイルド」の初期は1話完結のミステリーであるが、「カフカ -Kafka-」「赤い羊の刻印」と「ゴッドチャイルド」の中盤からは長編のストーリーが展開される。

 19世紀後半のロンドン、父に夜な夜な鞭を打たれるという虐待を受けて育ったカインは父の死後、12歳で大貴族であるハーグリーヴス家を継ぎ伯爵となる。カインのことを快く思わない親族たちや取り入ろうとする人々の中で、カインはいつしか毒の収集家となり忠実な執事リフと共に行く先々で起こる猟奇的な連続殺人を解決していく。やがて異母妹のマリーウェザーと出会い、彼女を引き取ったり、数々の殺人事件の裏で暗躍する秘密結社「DELILAH(デライラ)」とデライラの刺客でありカインの異母兄であるDr.ジザベル・ディズレーリの存在を知り、デライラとの戦いに身を投じていくというのがシリーズ全体のストーリーだ。

 愛する男に裏切られ生きたまま墓に葬られた少女。愛する妻に自分のおぞましい過去を知られまいと必死な青年。姉を愛してしまったが故に手を汚すこととなった少年。10歳の少女に心を奪われた愚かな男。憧れの人に振り向いて欲しくて怪しい薬を飲む女性。娘を侮辱した者たちを許せずに凶行に走る親。愛する少女を守れなかった後悔で復讐を企てる男――。

 そんな数多の愛憎により次々に起こる猟奇的連続殺人には、主人公・カインが収集している毒が使われているだけではなく、「マザーグース」や「不思議の国のアリス」などの童謡や童話、そして「タロットカード」「霊媒」といったスピリチュアルな要素が散りばめられ、禁じられた姉弟の近親愛や愛する者を蘇らせるための人体実験、鞭や拷問具といった背徳的な要素も描かれる。

 そしてそれらの事件の犯人を突き止めていくのが毒の収集が趣味の美しい17歳の伯爵・カインと、彼に仕える忠実な若き執事・リフなのであるが、カインは決して正義の人ではない。事件の関係者に同情や共感をし、義憤に駆られて彼らを救おうと行動することも珍しくないが、その一方で解決のためなら気のない女性を口説いたり、犯人が死ぬかもしれない仕掛けを施したり、さらなる殺人を誘発させたりするし、自殺も積極的に止めたりはしない。あくまで蠱惑的で小悪魔な存在として描かれているのだ。

カイン[白泉社文庫「伯爵カイン 1」(由貴香織里/著 白泉社)]

 このように、本作は万人受けする内容では決してないものの、ゴシック的なものが刺さる人には堪らない、魅惑的な世界が構築されている。そしてそれは由貴氏の後の作品、「天使禁猟区」では兄妹の禁断の愛や天使・天界・悪魔、「夜型愛人専門店-ブラッドハウンド-」では吸血鬼、「妖精標本」では妖精殺人、「ルードヴィッヒ革命」ではグリム童話を中心とした童話、他にも「架刑のアリス」「人形宮廷楽団」と、確実にそのモチーフは受け継がれている。

主従好きには垂涎もの!理想の主従がここにある

 主人公のカインは、父アレクシスとアレクシスの実姉オーガスタとの間に生まれた“呪われた子”であった。それ故にアレクシスの妻レノラはカインを憎み、殺そうとする。一方のオーガスタも、呪われた子を産んだ事実に精神を病み、成長したカインの姿を見て自ら命を絶った。アレクシスは「お前を愛しているからだ」とカインが大切に思えるものを与えてはそれを取り上げ、毎夜カインの背に鞭を振るった。やがて、愛する姉オーガスタを死に追いやった怒りからカインに毒を盛り殺そうとするものの、逆にカインによって毒を盛られることとなる。

アレクシス (C)由貴香織里/白泉社

 信じていた父に憎まれていたこと、そして自らの出生の秘密を知ったことにより、幼いカインの心は壊れそうになった。そんな彼の心を支えたのは、アレクシスが最後に与え、取り上げ損ねていた「大切なもの」、執事のリフの存在だった。

 医大生であったリフもまた、火災により家族と家を失い、生きる術をなくしていたところをアレクシスに拾われカインと出会い、そこに生きる意味を見出した。敵だらけの世界で、カインとリフは2人きりで互いに支え合い、依存し合いながら生きていく。そんな2人の間には絶対的な信頼関係があり、どんな時もリフはカインのために行動し続ける。

 物語が進むにつれ、カインの周囲には少しずつ信頼できる人物が増えていく。カインの異母妹マリーウェザーは、血を分けた兄妹にも関わらず、自分だけ貧しい生活をしていたことからカインを恨んでいたが、カインに引き取られたことから、彼に溺愛されるようになる。また、そのマリーウェザーに求婚したゲイブリル男爵家の長男オスカーも共に行動する仲間となっていった。

 さらに、敵だらけだと思っていた親族の中で、ニールだけは唯一自分のことを心から愛してくれていると知る。加えて、デライラと敵対することを決意した霊媒師クレハドールとも共闘することになったりと、カインの周囲には確かな絆が築かれていく。

 カインの孤独な魂はマリーウェザーの笑顔に癒され、表情も柔らかくなっていく。しかし、そんな中でもカインにとってリフは唯一無二の存在だ。1話「忘れられたジュリエット」での登場時から忠実な僕であったリフとカインの関係は、最後まで安定していた訳ではない。伯爵であるカインには、家族を失くし、医大を退学したリフは相応しくないと引き離されそうになったこともあるし、ほかにカインのために動く者が現れた時にリフは自身の存在に自信をなくし、カインのそばを離れた時もあった。

 けれど2人の関係が危うくなるエピソードが訪れる度に、読者はカインたちがいかに互いが理解し合い、信頼し合っているかを思い知らされる結果に終わる。そして終盤、アレクシスの手により2人の関係に最大の危機が訪れることとなり、これまでの2人の絆が強かったからこそ一体どうなってしまうのかと息を詰まらせながら読んでいた。しかし最終巻でカインとリフが選んだ道に、読み終わって驚くと同時に、最後までいったいどれだけ完全無欠の主従っぷりなのかと思わず笑いが込み上げてきたのを覚えている。「伯爵カイン」シリーズは、単なるミステリーものというだけではなく、カインとリフという主従の絆の物語でもあるのだ。

カインとリフ[白泉社文庫「伯爵カイン 4」(由貴香織里/著 白泉社)]

正反対の2人の主人と2組の主従が織りなす対比が物語をより面白くする

 また「カイン」シリーズの魅力を語るうえで重要な要素の1つが、敵役の存在だ。デライラの一員であり、幹部の位置にいるDr.ジザベル・ディズレーリは、シリーズの中盤「赤い羊の刻印」から登場するカインの異母兄である。彼もカインと同じく、父アレクシスにより最初は「愛されている」と錯覚させられ、後に「カインが生まれたからお前はもう用なしだ」という言葉とともに、絶望の淵に落とされる。拷問を受ける日々の中で、カインのように支えてくれる存在を持てなかったジザベルの心は完全に壊れてしまう。その結果、本来は穏やかで優しかった少年だった彼は、人間を憎み、アレクシスの元でまるで自分と同じ惨めな人間を増やそうとでもするかのように、人を陥れ殺すことを平然と行なうマッドサイエンティストへと変貌していった。そんな彼は、異母弟であるカインを憎み、物語の中で絡んでいくこととなるが、このカインとジザベルの対比が本作品の大きな柱のひとつとなる。

カインとジザベル[白泉社文庫「伯爵カイン 2」(由貴香織里/著 白泉社)]

 前述のように、カインには絶対的な信頼をおける従者・リフがいたが、ジザベルにも登場時に1人の部下・カシアンがいた。彼は35歳とジザベルより9つ年上だが、脳下垂体内分泌機能の先天的な異常により、身体は10歳前後の子どものまま成長が止まっており、年相応の大人の身体を手に入れるためにデライラに入った人物である。

 当初、カシアンはジザベルのことを自分の望みを叶えるための踏み台としか思っておらず、ジザベルもまたカシアンのことを信用していなかった。しかしジザベルに仕えているうちに、少しずつジザベルのことを知るようになり、やがてカシアンはジザベルに対して真剣に向き合うようになっていく。カシアンが自分を大事にしないジザベルを咄嗟に庇い、説教までした時は驚きつつも嬉しさがこみ上げてきた。また、ジザベルも自分が行なった命令違反を父でありデライラのトップであるカードマスターに告げ口したのがカシアンではないと知って安堵した場面を読んだ時は、人間すべてに絶望し憎悪しているジザベルに特別な存在が出来ようとしていると感じ胸が熱くなった。そして、徐々にではあるが確実に絆が深まっていく様子を見る度にこの主従から目が離せなくなり好きになっていった。

カシアン (C)由貴香織里/白泉社
ジザベル (C)由貴香織里/白泉社

 父アレクシスを憎み決別し、戦うことを決めたカインと、どれだけ屈辱的な目に遭わされ、愛されることはないとわかっていてもアレクシスから離れられないジザベル。最初から絶対的な信頼関係が成り立っているカインとリフと、マイナスな関係から次第に互いを大切に思うようになっていったジザベルとカシアン。こうした正反対の存在があるからこそ、互いの選んでいく運命がより際立っていく。カインシリーズにとって、アレクシスのもう1人の子どもジザベルの存在はなくてはならないものなのだ。

 「伯爵カイン」シリーズは、愛を求める人物たちの物語だ。様々な事件が出てくるが、罪を犯す者たちの動機は金欲や権力欲などではない。カインもジザベルもアレクシスもマリーウェザーも、そして物語に出てくる登場人物たちの多くが愛を求めて彷徨っている。だからこそ、彼らが引き起こす悲劇の数々に心を揺さぶられる。なぜそんな道を選んでしまうのか。どうしてもう少し上手く生きられなかったのか。そう問いかけずにはいられない場面がいくつもある。けれど、それができない不器用で愚かな人たちだからこそ、彼らの姿は胸に焼きつき、強く惹かれるのだ。そんな物語と、関係を育んでいった2組の主従がそれぞれどんな結末になっていくのかをぜひ見届けてもらいたい。

カインとリフとジザベル[白泉社文庫「伯爵カイン 5」(由貴香織里/著 白泉社)]

 本シリーズは連載開始から30年以上を経た今なお、由貴氏の世界観の原点を体現する作品だ。四半世紀以上のファンとして、本作を含めた"素晴らしき由貴ワールド"にぜひ飛び込んでみてほしい。