特別企画

福本伸行がギャンブルマンガへ舵を切る切っ掛けとなった「天 天和通りの快男児」連載から今年で35周年

【「天 天和通りの快男児」初版発行】

1989年9月18日

 今から35年前――つまり1989年に1つの麻雀マンガの連載がスタートした。今やマンガファンならば知らぬ者はいないであろう鬼才・福本伸行が描く「天 天和通りの快男児」(以下、「天」)である。竹書房の「近代麻雀ゴールド」にて連載された作品となっているが、今回は連載開始、そしてコミックス第1巻の発売から約35周年を記念して、本作を紹介しようと思う。

 麻雀を題材としているが、「麻雀は難しいから」、「ルールを知らないから」、「役や点数計算が分からないから」といった理由でこのページを閉じようとした方は、どうかしばしお待ちあれ。本作は麻雀がわからなくても十分に楽しめるエンターテインメントに仕上がっている(これは本作に限らず、すべての福本作品を通じて言えることだが)。まずは当記事を読んでいただいたうえで、本作を読むか否かの判断をお下し願いたい。

 今回の記事は、ネタバレについてとくに配慮していない。その理由は3つあり、1つ目は本作の完結から20年余りが経過してインターネットなどにもラストについて語った記事があふれている点。2つ目は、本作はネタバレありでレビューしてこそ、その本質に触れることができる点。

 そして3つ目の理由は、本作が持つ性質ゆえだ。福本作品を大別すると、ネタバレされると面白さが半減してしまうトリックに重きを置いたタイプと、キャラクター性やセリフ回しなどで魅せるストーリー重視タイプの2種類に分けられる。

 たとえば「賭博黙示録カイジ」(以下、「カイジ」)のEカードで、カイジが仕掛けたトリックを前もって知らされていたとしたら、面白さは半減してしまうだろう。これは「カイジ」のEカード編がトリック重視のタイプだからである(ちなみに「カイジ」シリーズのエピソードは、トリック重視とストーリー重視を両立しているケースも多い)。

「賭博黙示録カイジ」(講談社)はEカード編こそトリック重視だが、決してそれだけではない。鉄骨渡りや沼の後半などは、読む者の胸を打つストーリー性が込められている

 逆に「アカギ ~闇に降り立った天才~」(以下、「アカギ」)は、鷲巣麻雀で赤木が死なないことは最初からネタバレされているも同然。何しろ「天」に壮年期の赤木が登場しているのだから、鷲巣麻雀をしていた青年期に死ぬわけがない。それでも、鷲巣麻雀編の面白さにいささかの翳りも見えないのは「アカギ」がストーリー重視のタイプだからだ。

対して「アカギ 〜闇に降り立った天才〜」(竹書房)はストーリー重視のタイプと言える。赤木が放つ超カッコいい言い回しや、圧倒的な個性を放つキャラクター性(とくに鷲巣様)は他の追随を許さない

 同様に「天」もストーリー重視のタイプなので、今回の記事ではネタバレへの配慮は不要と判断した。本当に最後の最後、赤木の運命ついてこそ触れていないものの、それ以外のエピソードに関してはネタバレ要素があることをご了承のうえ、読み進めていただきたい。

仕事を取るために始めたギャンブルマンガが14有余年に及ぶ長期連載へ成長

 さて、前置きが長くなってしまったが、まずは当時のマンガ業界における本作の立ち位置から説明しよう。今でこそギャンブルマンガの大御所として押しも押されぬ地位を確立している福本伸行だが、当時はなかなかヒット作が生まれず、大変失礼ながら鳴かず飛ばずだったように思う。

 一方、その頃の日本は土地も株も全てが沸騰する狂気の刻――つまりはバブルの真っ只中。その世相を映してか、マンガもギャンブルを題材にしたものが多かった。そんな中にあって福本伸行が口に糊するためにギャンブルマンガを手掛けるようになったのも当然の成り行きと言えよう。かくして、のちに全ての麻雀マンガ、いや、マンガだけにとどまらず小説やアニメ、映画からゲームにいたるまで、全てのギャンブル作品に影響を与えたといっても過言ではない「天」が世に姿を現わした。

「天」のコミックスは全18巻。2015年にはカバーイラストが描き下ろされた新装版が発売されたほか、現在は電子書籍でも読むことができる(画像は新装版1巻)

黎明期から東西対決を経て赤木の通夜へ! 物語を4つのエピソードに分けて紹介

 ここからは、本作のストーリーを4つに分けて各エピソードにおける魅力・見どころを紹介していく。なお、本作の構成については3エピソードとするきらいもあるが、この記事では赤木しげるに敬意を表してあえて赤木と天の対決を「赤木登場編」として1エピソードに計上した。

 また、赤木しげるは全て「赤木」と漢字表記にしている。逆にマンガ作品としての「アカギ」は、タイトルに倣ってカタカナで表記するので、ご留意いただきたい。

黎明期編:人情物としてスタートし、徐々にギャンブル色が強くなっていく連載開始初期(1~2巻)

 物語開始から第15話あたりまでは、いわば黎明期。主人公・天貴史(てん たかし)と準主人公・井川 ヒロユキの出会いや交流に始まり、徐々に本格的な勝負ものへとシフトしていく。なかでも第1話と第2話にはヒリつくような勝負感は一切なく、初期の福本作品に特有の人情噺がメインだ。

 とくに第2話の「豪放磊落(ごうほうらいらく)」はその傾向が顕著で、父1人・娘1人のクリスマスが描かれる。いつもは飲んだくれて麻雀を打っている父が、その日は娘のためにクリスマスツリーを飾り付け。自宅の窓から見える位置にツリーを置き、満を持してクリスマス会へ参加するが、その木は腐っていて根元から折れてしまい……。いい加減な男だと思っていた天の、優しさが垣間見えるエピソードである。

 第6話からは、ラーメン屋「進宮亭」の土地と店舗を賭けて天とヒロユキが麻雀で再戦(天とヒロユキは第1話ですでに対戦済み)。この頃から、のちの「銀と金」(双葉社)や「カイジ」に見られるギャンブル勝負の色合いが濃くなっていった。

コミックス2巻。表紙だけではわかりにくいかもしれないが、この頃の福本の絵柄は、現在よりも柔らかい(アゴが尖っていない)ため、人情噺にもマッチしている

赤木登場編:「オレの暗刻はそこにある」膨大な才気によって現れた異形の四暗刻(2~3巻)

 ラーメン屋「進宮亭」の土地と店舗を賭けた勝負は、やがて沢田陣営(天、ヒロユキ、沢田)VS. 地上げ屋陣営の麻雀勝負へと発展していく。そして地上げ屋陣営1人目の代打ちだった室田が敗れたあとに登場した人物こそが、かつて神域の男と呼ばれ、裏社会に伝説を作った男――あの赤木だった。最終エピソードから逆算すると、初登場時は42才だと思われる。

 さて、青年期には寡黙な印象のあった赤木だが、この頃は意外と饒舌だ。また、「ゴミ3人と打ってるていうんじゃ我身が悲しくてよ」、「最初からブンブンいくバカがいるかよ」、「ここは低能児の集会か?」など、口も悪い。さらに声を出して笑う場面も少なくないなど、その本質こそ変わっていないものの、少年~青年期の赤木とは一味ちがった魅力に触れることができる。

 そして何よりも読者へ赤木を強烈に印象付けたのは、やはり四暗刻の地獄待ち。31回戦目の西場四局(オーラス)、天が赤木に5万点以上の差をつけてトップを走る。

 31回戦は、あとオーラスの一局を残すのみ。子の赤木は役満をツモってもプラス3万2,000点で、5万点差は跳ね返せない。逆転するには天から役満を上がるしかない絶望的な状況に、うしろで見ていた室田も赤木の敗北を確信した。しかし、西四局、赤木の執念じみた才気が奇跡を起こす……。

 このときに赤木が言ったセリフ「オレの暗刻はそこにある」は、当時の読者に絶大なインパクトを与える。一時はGoogleで「おれの」と入力すると予測候補として「オレの暗刻はそこにある」と出てくるほど、有名なセリフであった。今にして思えば、これが福本伸行の名言の始まりだったのかもしれない。

 何はともあれ、この闘牌によって赤木の人気は爆発的に加速し、それは「天」という作品の評価にもつながった。それから数年後、まだスピンオフという概念がほとんどなかった1992年に、「天」の脇役であった赤木を主人公にした「アカギ」の連載がスタートする。この一事を見ても、赤木がどれほどの支持を集めるキャラクターだったかがわかるだろう。

赤木の四暗刻地獄待ちを収録しているコミックス3巻。通常は暗刻が4つ必要な役だが、赤木の四暗刻には暗刻が3つしかなかった。果たして4つ目の暗刻は……︖

東西対決編:鬼神・赤木しげるの他を圧する闘牌! 人生に役立つ名言も数多く登場!(3~15巻)

 赤木登場編でヒロユキが天と袂を分かってから2年。麻雀を打つために大阪を訪れたヒロユキは、そこで出会った健から麻雀の裏プロたちが東日本と西日本に分かれて戦う東西対決について聞かされる。東側のメンバーとして東西対決に参戦したいヒロユキは東軍の頭だという健の兄貴分の元へ向かうが、そこにいたのは不敗のアカギにただ一度だけ土をつけた男・天だった。

 3巻の途中から開始される東西対決編は、もう本作の本編と言ってもいい。2回に分けて行なわれる予選リーグと、それをくぐり抜けた8人が戦う決勝リーグ、そして最終決戦とも言える2人麻雀を合わせると単行本は実に12冊強、全編の3分の2以上を費やして描かれているのだから。

東西対決編は約12巻にも渡る長丁場。しかし、ビケ(最下位のこと)殺しやトップ取りの予選リーグあり、変則ルールの決勝リーグあり、一風変わった2人麻雀ありと、その充実ぶりは凄まじい

 その長い東西対決編でも、やはり光り輝くのは赤木の才気だ。予選リーグ第1戦では、とあるアクシデントによって皆の注意がそれているスキに河(捨て牌)から牌を抜いてトリプル役満を完成させる。続く予選リーグ第2戦では、ヒロユキたち東軍の打ち手がどうすることもできなかった西軍・僧我三威の牌すり替えを阻止。さらに中の暗カンを偽装してリンシャンカイホーをツモ上がり、過去十数年のあいだ一度も敗れることなく麻雀の裏社会に君臨し続けてきた僧我に勝利した。

 その闘牌は、決勝リーグに移ってからも衰えることを知らない。マンガン以上の役でなければカウントしない特殊ルールの中、ピンフ一通を上がり純チャン三色を決め、三暗刻を直撃させて東軍を有利に導いた。赤木は決勝リーグの中盤で東西対決から離脱するが、それまでは決勝リーグの約7割方が赤木メインに描かれ(残りの3割は三色の職人・浅井銀次がメイン)、主人公の天やヒロユキにさしたる見せ場がないほど、その活躍は抜きん出ていた。

 また、東西対決編は多くの名言を生んだエピソードでもある。暴力団の組長であり西軍の頭でもある原田に、赤木が言い放った「こざかしいことと無関係のところに強者は存在する」が有名だが、筆者が感じ入ったのは、ヒロユキを諭すように言った赤木の「今この状況で強さとは踏み止まること」と「責任をとる道は身投げのような行為の中にはない」の2つ。それまでは“仕事で失敗をしたら職を辞して責任を取ろう”というような考え方をしていた筆者にとって、赤木の言葉はまさに蒙が啓かれる思いであった。

悪魔とも呼ばれ、ともすれば独善的に見える赤木だが、倫理観や道徳観がまったくないわけではない。「自己犠牲が美学」という風潮すらあった時代、赤木だけが本当の責任の取り方を知っていた。

赤木の通夜編:赤木の言葉が人生を切り開く切っ掛けをくれた! 名言満載の最終章!!(16~18巻)

 そんな何かに気づかせてくれる言葉、あるいは背中を押してくれる言葉がもっとも多く詰まっているのが、最終章となる赤木の通夜編である。東西対決から9年、赤木は早発性のアルツハイマーに冒されていた。完全に自我を失う前に、赤木は自らの命を絶つことを決意。死の際に、かつて東西対決でともに戦った天やヒロユキ、決勝リーグでしのぎを削った原田や僧我に会うため、自分自身の葬儀と通夜を執り行なう。その通夜の中、赤木と1対1で話すことができる最後の面談が始まった。

アルツハイマーを発症しても赤木はなお赤木だった。自身を保つために死を選んだ赤木と、それを引き留めたい仲間たちの想いが交錯する

 赤木の通夜編は、ストーリーだけ見ると地味な印象を受けるかもしれない。そして、実際に地味であることは否めない。麻雀マンガ雑誌に掲載されているにもかかわらず、約3巻に渡って麻雀をするシーンは一切なし。僧我との面談で麻雀牌を使った勝負を行なうものの、別に無理に麻雀牌を使う必要はない(トランプのカードなどでもできる)。アクション的な要素はもちろん皆無で、ほぼ1つの部屋を舞台に会話だけでストーリーが進む様はさながら密室劇を思わせた。

 しかし、この地味な最終章のなかに何と多くの名言・箴言・至言が散りばめられていることか。1つ、筆者の体験をもとにした実例をあげてさせていただきたい。

自分は十全に生きてない――そう自覚する者の心を抉る一言

 当時、筆者はゲームの攻略本を制作する会社に所属していた。それほど発行部数は多くなかったそうだが、内容に妥協しない攻略本を作り続ける会社だったため、筆者は誇りを持って働いていた。時給に換算すると約400円と薄給ではあったが、とくに不満に感じたこともなかった。

 ところが、あるとき筆者が所属していた会社が某国民的RPGの攻略本を作ることになった。ゲームは爆発的なヒットを記録し、そのせいで攻略本は売れに売れ、会社は莫大な利益を得た。

 自社が得た利益はもちろんのこと、発行部数さえも秘密にしていた会社だったので、具体的な数値までは知る由もない。しかし、利益の大部分は社長や幹部に流れた(と風の噂で聞いた)ものの、筆者のような末端の者たちもおこぼれにあずかることができた。会社側からすれば大盤振る舞いであったろう。

 だが、そのあとが問題だった。一度その味を占めた会社は、柳の下のドジョウを狙うようになる。つまり、売れそうなゲームの攻略本ばかり作るようになってしまったのだ。

 これは、赤木が原田に対して言った「成功を積み過ぎた」という言葉を如実に体現している。最初は必要な意味ある成功だった。しかし、ゲームの中身や本質を見ず売れるかどうかを基準にして攻略本を作り続けているうちに、それは枷へと変わっていく。結果、作中の原田と同じく相当な我慢を強いられストレスの塊のような日々を過ごす羽目に相成ったのである。

 赤木の言葉は、まさに正鵠を射ていた。原田に対する問いかけの「生きていると言えるのか? それで」という言葉が、まるで筆者自身に向けられているようで、強いショックを受けたことを今でも覚えている。

関西有数の暴力団の組長である原田(右側)。しかし、決して強いばかりの人間ではなく、赤木とは対照的な人生を歩いてきた彼はヒロユキとも共通する弱々しい一面も持っていた

失敗を恐れるな――挑戦する者へ向けたアカギのエール

 続いて、もう1つ、同様の実例をあげてみたい。当時、マンガは日本が誇る文化であり芸術である……と考えていた(その考えは今でも変わらないが)筆者は、いつかは古本屋で働いてみたいという願望を抱いていた。が、30台後半の転職はなかなかにリスキーな選択である。

 そんなときに背中を押してくれたのが、赤木がヒロユキへ掛けた「何かをして、それが失敗に終わってもいい」という言葉。その前には「輝いていない人間=命を喜ばしていない=なぜなら動いていないから」という赤木独自の理論が展開される。

 これまた、自分自身のことを言われているようで、筆者の心に深く突き刺さったものだ。会社が売れそうなゲームの攻略本ばかりを作るようになり、やり甲斐も誇りも失って死にながら生きていた筆者は、図らずもヒロユキと同じ立場にいた。そんな棺の中にいる死に体のような人生から脱出できたのも、「天」という作品に巡り合い赤木を知ったからこそ。極論すれば、赤木は筆者にとって人生の恩人とも言えた。

 さて、筆者が感銘を受けた言葉をいくつか紹介したが、いかがだったろうか。本作は、誰にとっても心に響く言葉が秘められているように筆者は思う。たとえば上にあげた言葉が心に届かずとも、まったく別の言葉に何かを感じるかもしれない。あるいは、筆者は気にも留めずに読み進めた言葉が、別の誰かの人生を変える切っ掛けになるかもしれない。

 これは決して大げさな表現でもなければ「天」という作品を過大評価しているわけでもない。何しろ実例があるんだから。現に筆者が赤木の言葉によって人生を変えることができたんだから。おそらく福本伸行も、そんな風に誰かの人生を切り開く切っ掛けになればと思い、赤木という絶対的な人気を誇るキャラクターの死を描いたに違いないのだ。

赤木が残した数々の言葉(ある意味では教えと言ってもいい)に勇気づけられ、自分の夢に挑戦した読者もいたのではないだろうか︖ かく言う筆者も、その1人だった

完結後も広がる天ワールド。読者の人生にプラスを与える言葉たち

 本作は2002年に完結したが、その後もゲームになったり、パチンコやスロットになったりなど、盛り上がりを見せた。とくにゲームの「闘牌!ドラマティック麻雀 天~天和通りの快男児~」は、筆者はプレイできていないものの、当時2,100円という廉価ソフトながら、本作の大ファンが手掛けたためにかなり良質の麻雀ゲームに仕上がっているという。

2003年にPS2用ソフトとして発売された「闘牌!ドラマティック麻雀 天~天和通りの快男児~」(画像はディースリー・パブリッシャーの公式ページより)

 2018年には東西対決編が実写ドラマ化。マンガの実写化は失敗に終わるものも少なくないが、こちらは配役が素晴らしかったためか、大好評を博し、2019年には続編として赤木の通夜編も放送された(ドラマでは通夜でなく葬式だった)。

 また「天」はスピンオフ作品が多いのも特徴。「アカギ」を筆頭に、ヒロユキを主人公にした「HERO 逆境の闘牌(のちにサブタイトルが「アカギの遺志を継ぐ男」に変更される)」や、僧我を主人公にした「老境博徒伝SOGA」。さらにはスピンオフである「アカギ」のそのまたスピンオフとして、「ワシズ 閻魔の闘牌」や「闇麻のマミヤ」などなど、天ワールドはまだまだ広がっている。

 ここまで読まれて少しでも興味を持ってくださった方は、ぜひとも一度「天」に触れてみてほしい。麻雀を知らない人でも楽しめる福本作品の原点がここにある。そして、作品の随所で輝きを放つ至高の金言は、必ずや人生において何かしらのプラスを得られること請け合いだ。

【特別ドラマ『天 赤木しげる葬式編』が2019年12月28日(土) 深夜0時55分より放送決定!|テレビ東京】