特別企画
魅惑の宝石が持つ輝きと物語に惚れ惚れする「宝石商のメイド」
希少石「スファレライト」から素朴な鉱物まで、色とりどりの宝石と人を紡ぐ物語
2024年8月14日 00:00
- 【宝石商のメイド】
- カドコミにて連載中
- 著者:やませちか
ここ10年ほど、宝石と合わせて鉱物が静かなブームになっていることをご存知だろうか。従来のようにジュエリーとして身に着けるだけでなく、原石そのものも愛でるという楽しみ方が秘かに流行っているのだ。
そんなブームの折、満を持して登場したのが、やませちか氏の「宝石商のメイド」だ。PIXIV FANBOX及びカドコミ(KADOKAWA)で連載中で、「次にくるマンガ大賞」に2022、23年と2年連続ノミネートされている。メイドが宝石を売るという一風変わった品揃えのお店で紡がれる、宝石と人の物語で、舞台は1920年から40年ごろのヨーロッパの架空の国である。2話に登場する、コレクター垂涎の希少石「スファレライト」のティアラが、2022年に阪神百貨店で開催された「宝石商のメイド展」で110万円という価格で販売され、業界を騒然とさせたことでも有名だ。本稿では、宝石と宝石に関わる人びとを描いた漫画「宝石商のメイド」の魅力をお伝えしたい。
宝石や鉱物そのものが持つ魅力に惹きつけられる
主人公エリヤは、メイド姿のまま、宝石商「ローシュタイン」で宝石を売る店員兼メイドである。店主で主人のアルフレッド・ローシュタインが仕入れのため、直接海外の鉱山に買い付けに出かけ、長期間不在になることが多く、「ローシュタイン」は「メイドが宝石を売る店」として愛好家達の間で噂になっていた。品揃えも一風変わっていて、宝石だけでなく、博物館のように鉱物を原石のまま展示・販売し、ジュエリーになる前のルース(輝石)、つまり原石を研磨した状態の石も取り扱っている。
エリヤは、当時の女性としては珍しい、宝石鑑定士の資格を、女性最年少で取得しており、その知識や鑑定スキルは超一流である。その彼女が説明する、宝石や鉱物の魅力は、ダイヤモンドと水晶の違いすら知らなかった超初心者の筆者でも分かりやすく惚れ惚れしてしまうほどだ。
たとえば、冒頭で触れた「スファレライト」は、王家に嫁ぐ予定の名家の貴族の四女・ラヴェンデルに、婚礼のティアラの宝石としてエリヤが勧めたものだが、とにかく格別に輝きが強い石なのだという。エリヤによれば、光の分散率の高さはダイヤモンドの約4倍あり、決してダイヤに見劣りしないきらめきと美しさを持つ。その代わり、硬度が低くもろいため、落とすと割れてしまう可能性があり、ジュエリーには向いていない。それ故に、卓越した職人の手で研磨し、ティアラにすれば唯一無二のものになるとエリヤは説明する。石言葉は「幻惑」で、その強い輝きで持ち主の魅力を高め、本当の自分を相手に伝えられるという話も納得の、魅惑の宝石である。
他にも、1巻のプロローグでは、夜空のように深い青に星雲のような内包物が残る、神秘的なサファイアが登場する。エリヤによると、通常、宝石は透明度が高いものが好まれるため、加熱処理をして内包物を溶かすのが一般的だが、このサファイアは、敢えてその内包物の美しさを活かしてカットされた一品物。人によって好みは分かれるが、そのサファイアは、自然に近い、ありのままの優美な存在感を放つ。
また、高価な宝石ばかりではない。鉱物好きの原点とも言える水晶も、何度か登場する。水晶は、石英と言って、世界中で産出されるもっとも身近な鉱物の一つで、見映えする結晶が水晶として価値が出るのである。とはいっても、サイズや希少性にもよるが、小さいものなら現在でも数百円程度で買えるので、ダイヤモンドやサファイアのような価値を付けることはない。しかし、エリヤは言う。「宝石の美しさや価値は、値段によるものだけではない」と。数億円もするダイヤモンドを愛する人もいれば、数百円の水晶を愛する人もいるわけで、何を美しく思うかに値段は関係ないのだ。「ローシュタイン」が取り扱う水晶は、色付き水晶の一つであるアメシストに、白い雪玉状の内包物があるスノーボールアメシストや、水晶の内部で他の鉱物が箱庭のようになったガーデンクォーツなど、価格は低くとも目に鮮やかなものばかりである。
ただ、マンガなので仕方がないが、どの宝石もモノクロで表現されており、是非カラーで見たいとはつい思ってしまう。それでも、やませちか氏の表現力は、モノクロでも宝石のきらめきが余すところなく伝わるほど卓越しているので、安心してほしい。
メイドの可憐さと、ヨーロッパの架空の国という安心感のあるファンタジー
宝石や鉱物そのものが素晴らしいのはある意味当たり前ではあるのだが、「宝石商のメイド」の面白さの秘密は、エリヤがメイド姿のまま店頭に立つことや、舞台が1920年から40年ごろのヨーロッパの架空の国であることにもあるように思う。
まず、エリヤのメイド姿だが、ロングスカートに白いエプロンというクラシカルなメイド服は、マンガやアニメの世界だけでなく、遊園地のアトラクションの制服にもなるほど、一般的にも人気が高い。それでいてエリヤのエプロンには、宝石がいくつかあしらわれており、下働きのメイドでありながら、きらびやかで可愛い。そのような出で立ちの可憐で寡黙な女性が、高価でまばゆい宝石を、小さな店でほぼ一人で1点1点丁寧に販売しているというのは、自分だけの大切な行きつけの店を見つけたような、特別感がある。
また、1920年から40年ごろのヨーロッパの架空の国が舞台なのだが、使用人のポジションであるメイドの恰好で店頭に立つエリヤは、珍しがられることはあっても、そのことで理不尽な目に遭ったりはしない。
3巻では、主人のアルフレッドのエスコートで、国際ジュエリー協会主催の夜会に出席するのだが、その時もメイドの恰好のまま参加している。礼装で集まった貴族や要人達に奇異の目で見られるものの追い出されることはなく、夜会の余興としての宝石鑑定を公衆の面前で堂々とこなす。むしろ、下働きのはずのメイドが、高価な宝石を売っているというギャップが、逆に不思議な趣きをまとっているとして、好意的に思われているのだ。
この世界では、身分や貧富の差は存在するけれども、少なくともエリヤは、それを理由に不条理を被っておらず、そういう意味では、現実の激動の歴史とは違い、読んでいて安心感がある。
だが作中には、ミュシャ風の絵に憧れる美大生が登場したり、サラ・ベルナールを思わせる女優が店を訪ねたり、エドワード8世の王冠を賭けた恋を明らかに模した王子と一般人女性の恋愛模様についての話があったりと、この時期のヨーロッパの文化や歴史が好きな人も十分楽しめる内容となっている。
主人公エリヤの堅実なセールス力と、店主アルフレッドの誠実な商売
そういった背景も踏まえながらも、この作品の醍醐味はやはり、エリヤの堅実なセールス力と、アルフレッドの誠実な商売にあるだろう。
エリヤは、宝石の知識や鑑定の腕前が超一流というのは先に述べたが、それだけでなく、口数は少ないが、すぐに客の心を掴んでしまう、接客のプロなのだ。客が考えていることが分かるのではないかと疑ってしまうほど、表情や雰囲気の機微に敏感で、客が言ってほしいこと、本当に望んでいることを的確に見抜き、背中を押す。その心地よい接客に魅了された客は多く、販売実績では店主であるアルフレッドをゆうに超えてしまうぐらいである。
4巻でインペリアルトパーズを購入するか迷った女性客に対しては、価格が高くて迷っていることを察知し、無理に買わずとも可能な限り取り置きをすると約束して、引き止めてほしいという客の深層心理を見抜いていたエリヤ。逆に、1巻で結婚50周年の記念のルビーを買いに来た老齢の男性客には、半年前にも勧めていたが予算の都合でご破算になった、ピジョン・ブラッドという最高級のルビーを再度勧めている。記念にとびきりのルビーを妻に贈りたいと思っていた男性は、高くても自分が美しいと思う物を買う決心がついたと、エリヤの後押しでそのルビーを購入する。このように、客の心に寄り添いながらも売り上げを伸ばすエリヤの堅実なセールスは、見ているだけで清々しい。
こんなエリヤが店員なのだから、店主のアルフレッドも強引な商売は決してしない。むしろ心配になるぐらい、公正だ。ある時、お祭りの露店でたまたま目にしたガーネットが、実は高級品であることを見抜くと、わざわざ自分から7倍の値段を提示して購入するほどである。それだけ、彼が多くの利益を出すことを目的にせず、宝石に対して愛情と敬意を注いでいる証拠だ。事実、彼は、孫の代まで資産として残せるような宝石を買いに来た老齢の男性客に対して、「宝石を資産価値の重要性で勧めたくない」とまで言うのだ。「一人の宝石商としては、石そのものに惚れ込んだ一品を選んで頂きたい」というアルフレッドは、商売人というよりも、愛好家と言った方がふさわしいだろう。
エリヤとアルフレッドの、人生の苦難を乗り越え、理想の宝石商になる夢を叶えた情熱こそが、輝く貴石
そんな、宝石を愛してやまない、エリヤとアルフレッドは、メイドと主人、店員と店主という上下関係にあるが、アルフレッドは、自分より営業成績のいいエリヤを頼もしいビジネスパートナーと思っている節がある。それと同時に、アルフレッドはエリヤに対して保護者然とした、責任者としての振る舞いを見せることも多い。エリヤが厄介な客に応対した時は、「何があっても責任は僕が取るよ。だから君は伸び伸びと自分の考えで接してほしい」と心を砕く。
そんな枠にとらわれない関係にある二人は、片田舎の学校で教師と生徒として出会った。大学生だったアルフレッドはアルバイトとして教師をしていた。貧しい家の子だった10歳ほどのエリヤは学校には通えていなかったが、天井裏から教室を覗き込んでこっそり授業を盗み聞きしていたのである。雨の日に、雨漏りする天井の穴を塞ごうと天井裏に上ったアルフレッドが、そこに忍び込んでいたエリヤと出会うのだ。
学習意欲はあるが、父親がおらず、母親からも虐待されていたエリヤは、アルフレッドの計らいで学校に通えることになる。エリヤは誰よりも優秀で一度聞いたことは忘れないほど記憶力も良く、学校に通い始めてわずか1年で、フェルスパーという鉱物のグループについてプレゼンテーションできるほど成長した。宝石商になる夢をもっていたアルフレッドは、もともと鉱物や宝石が好きで賢いエリヤを、店の従業員にしようと目星を付けていた。大学を卒業する時になってアルフレッドは、エリヤをスカウトし、15歳になる頃に迎えに来ると約束して、学校を離れ、「ローシュタイン」の開店に邁進する。
エリヤは、母親から夕食を与えられないなどの虐待を受け、兄からも本を破られるなどイジメられていたが、村の変わり者の老人と仲良くなった影響で、鉱物や宝石が好きだった。この劣悪な環境から抜け出し、大好きな宝石に関わる仕事に就けるというアルフレッドのスカウトは、願ったり叶ったりだった。エリヤは、アルフレッドの言いつけを守り、石のことだけでなく、他の科目の授業も受け、教養を身に付けるため、勉学に励んだ。アルフレッドは約束通り4年後にエリヤを迎えに来るのだが、その際、エリヤの母親に手切れ金としてなんと500万円相当の金を渡すのだ。それだけエリヤを高く評価していたのだろうが、エリヤは、こうして自分を救い出してくれたアルフレッドに深く感謝しており、宝石はもちろん好きだが、同時に、アルフレッドに恩返しをしたいとも強く思っているのである。
そんな、エリヤにとって命の恩人とも言えるアルフレッドの人生もまた、苦労が多かった。アルフレッドは、祖父の代から続く宝石商の家の長男として生まれ、大好きな宝石に囲まれながら何不自由なく暮らしていた。だが、少年の頃に、母親と妹が事故死して、運命は狂いだす。アルフレッドは悲しみに暮れたが、父親もまた、ショックで立ち直れなくなり、アルフレッドの叔父にあたる弟に商売を任せて身を引いた。だが、叔父は父親と違い野心家で、事業を大きくしようとしてダイヤモンド鉱山の購入にあたり巨額の詐欺に遭ってしまう。父親を残して叔父は失踪し、会社は倒産、多額の負債が残った。その負債を自分の保険金で少しでも減らそうとしたのか、ほどなくして父親も亡くなった。そして、生まれ育った屋敷も、恨みつらみを買ったのか、不自然な火災に遭い、アルフレッドは文字通り何もかも失ってしまったのである。
だが、アルフレッドは、全てを失ったからこそ、ある決意をする。屋敷の焼け跡に唯一残った、母親の形見のアウイナイトの金細工のブローチを手に、いつか必ず自分の手で、宝石が好きな人のためだけの、父のような店を開こうと。全てを失ってなお、アルフレッドは、宝石を愛してやまなかったのである。
それ以来、アルフレッドは、理想の宝石商になるために、努力を続けてきて今に至るのである。そんなアルフレッドが、最高のパートナーとなるエリヤに出会ったのも、何かの運命だったのかもしれない。
人生の苦難に見舞われた二人だったが、決して諦めることなく夢を叶えた情熱は、宝石と同じように光り輝く貴石である。宝石や鉱物に惹かれ、「宝石商のメイド」を読み、メイドが宝石を売るというコンセプト、宝石や鉱物が放つ輝きと物語に魅了され、読み進めていけば、やがてそのことに気付くだろう。是非、宝石に引けをとらない、その珠玉の体験をしてほしいと筆者は願っている。