特別企画

言葉を理解するタヌキと飼い主のお姉さんの日々の暮らしが美しい「雨と君と」

タヌキを犬と思い込んでいるお姉さんとタヌキのやりとりが微笑ましい、癒され叙情マンガ

【雨と君と】

ヤングマガジンにて連載中

著者:二階堂幸

 講談社の週刊ヤングマガジンで連載中の「雨と君と」は、累計発行部数40万部を突破している、二階堂幸氏の人気作だ。一人暮らしで口数の少ない小説家のお姉さんが、夏の雨の日に捨て犬ならぬ捨てタヌキを拾って飼うところから物語は始まる。可愛いタヌキと、丁寧に生活するお姉さんの、一匹と一人、つまり二人の日々が、時におもしろく、時に尊い、叙情的癒されマンガである。

自分は「犬です」と主張するタヌキと、犬と思いこんでいるお姉さん

【第1話 「雨と君と」】

 葉っぱを頭の上にのせている、どこからどう見てもタヌキで間違いないこの動物は、言葉を理解していて、紙にペンで文字を書いて人間と会話ができる。だが、お姉さんが初対面の時に犬と間違ったからなのか、ずっと自分のことを犬であると主張するのだ。お姉さんも、何故かずっと犬だと思い込んでおり、誰かに紹介する時も「雑種犬です」と話す。

 3話の時点で獣医が当然タヌキと気付いてお姉さんに伝えようとするが、タヌキの方も「犬です」とフリップ芸のように紙に書いて訴えて、なんとかお姉さんにはバレずに済んでいる。現在6巻まで出ているが、あらゆるタヌキ疑惑を回避して、今のところ、お姉さんは犬だと信じてタヌキと暮らしている。何故そこまで犬のフリをするのか、何故言葉を理解して文字を書けるのか、理由は明らかになっていないが、如何に犬と信じ込ませ続けられるか、というタヌキの奮闘ぶりと、お姉さんの勘違いぶりもこのマンガの笑いのエッセンスになっている。

【第33話 「弟」】

 タヌキの犬のフリは、たとえお姉さんの双子の弟や近所のおばさんの前でも抜かりない。弟のテルと散歩中に、近所のおばさんと、犬種は何か、という立ち話になり、そこにちょうど獣医が通りかかって、「タヌキ」だとバレそうになると、タヌキは必死にフリップを出して自分は犬だと主張する。その一生懸命な様子に、獣医も仕方なく、犬であると合わせてあげるのだが、タヌキのお願いの動作は思わず笑ってしまうほどおかしくて愛らしい。

もふもふのタヌキの可愛さとフリップ芸のおもしろさに癒される

 そんなタヌキ疑惑のアレコレが愉快なタヌキだが、とにかくもふもふで可愛く、フリップ芸もおもしろくて癒し効果抜群だ。飼い主のお姉さんも、タヌキのことは可愛いと思っているようだ。毎話タヌキは可愛いが、特に可愛いエピソードを2つ紹介させてほしい。

【第26話 「換毛期」】

 2巻掲載の第26話「換毛期」では、鏡で自分の姿を確認して、冬毛になったことを確認したタヌキが、「何か言うことあるでしょ?」とフリップをお姉さんに見せて、冬毛に気付かせようとする話だ。鏡で自分のほっぺを触るタヌキも滑稽だし、自分のもふもふをお姉さんに触らせでドヤァと自慢げにするのも愛おしい。もふもふを堪能しながらも、抜け毛がすごそうと現実問題を認識する冷静なお姉さんとのギャップもとても味がある。

【第38話 「嘘」】

 3巻掲載の第38話「嘘」では、タヌキがティッシュを箱から大量に引き抜いて部屋中をティッシュで散らかしてしまうのだが、お姉さんに「嘘ついてるでしょう」と指摘されても「それはない」とフリップを出して自分は無実であると訴える。でも本当は自分がやったと分かっているので、たくさん汗をかき、もふもふの尻尾をふりふり振ってタヌキは誤魔化そうとする。そんな焦るタヌキと少し怒っているお姉さんとのやりとりが、なんとも微笑ましい話だ。

四季を大事にするお姉さんの丁寧な暮らしは憧れであふれている

【第15話 「海、夕暮れ」】

 そんな可愛いタヌキを犬と思い込んで飼っているお姉さんの職業は小説家ということで、その暮らしぶりは、感性豊かなものになっている。タヌキと過ごす、四季を大事にして丁寧に生活するお姉さんの日常は、社会人の理想の一人暮らしと言っても過言ではないだろう。

【第32話 「友達」】

 夏の暑い日には海岸に出向き、海に入るでもなく日光浴をして夏という季節を全身で浴び、夏の終わりには近くに住む自分の両親と、隣に住む小学生の女の子と一緒に浴衣を着て、夏祭りと花火を楽しむ。秋にはタヌキと一緒に公園に行き、紅葉を眺めて過ごし、夜には団子を手作りして、自宅のアパートのベランダで月見をする。他にも、高校からの友人二人と集まって自宅で餃子パーティーをしたり、双子の弟の家に行って、彼の妻、つまり義理の妹とジャック・オ・ランタンを手作りしたり。一人でも、家族や友人とも、季節を満喫する生活は、精神的にも時間的にも対人関係的にも、非常に恵まれている。

【第40話 「寝る前」】

 小説家という、誰もがなれるわけではないクリエイティブな仕事をして、ソファもベッドもダイニングテーブルもある、一人暮らしにしてはかなり広い部屋に住み、人間関係が良好な両親や弟が気軽に訪ね合える距離にそれぞれ住んでいる。高校からの仲の良い友人二人とも、断捨離の掃除に付き合わせたり、車でついでに送迎してもらったりできるような距離と間柄を維持している。

 小説家としての生みの苦しみや、関係者との打ち合わせでの疲労など、仕事の苦労が全くないわけではないようだが、一人の時間も大事にしながら、適度に家族や友人と仲良く過ごせるというのは、羨ましいという言葉では足りないぐらい、キラキラと輝いている。その眩しさは、物静かなお姉さんの清らかさと、時間のゆったりとした流れとも相まって、どこか詩的ですらあるのだ。

【第46話 「雪あそび」】

お姉さんとタヌキの名前が分からない不思議な秘めやかさと、美術作品のような絵の美しさが、叙情詩のような空気を生み出す

【第66話 「目覚まし」】

 タヌキの可愛さと犬のフリ、お姉さんの理想の暮らしぶりだけでもこのマンガは十分面白いが、もちろん、それだけではない。これまでの流れでお気付きかもしれないが、実は、お姉さんとタヌキの名前が現時点で明かされていない。お姉さんはタヌキのことを「君」と呼ぶし、お姉さんは「藤」という苗字だけが明らかになっているが、フルネームは分からない。

 他のキャラクター、例えば隣に住んでいる小学生の女の子とか、父親や双子の弟、獣医、高校からの友達などの名前は分かっている。だが、お姉さんとタヌキだけは分からない。職業も住んでいる部屋の間取りも分かっているのに、名前だけが分からず、それがこのマンガに不思議な秘めやかさをずっと醸し出している。

 読者である我々は、「雨と君と」というマンガが大好きで、コミックも買って読んでいるのに、主人公のお姉さんとタヌキのことを何も、名前すらも知らないという、妙な距離感を否が応でも感じ取ってしまうのだ。

 この距離感が、お姉さんとタヌキの日々の生活という私的な部分をずっと見ているにも関わらず、彼らのことを完全には理解できていないという、しこりのようなものを心に残す。そのしこりが、このマンガを叙情的な作品に押し上げている。

【5巻】

 象徴的な話に、5巻掲載の第63話「天気予報」がある。名前の分からない二人が出会ってちょうど1年が経ち、梅雨が再び巡ってきて、タヌキがお姉さんに雨が好きな理由を尋ねる話だ。小説家のお姉さんはプロらしく、きちんと紙に原稿を書いて、タヌキに雨が素敵である説明をするが、タヌキはフリップに「まぁまぁ」と書く。物書きとして仕事をしているお姉さんは、納得してもらえなかったことにかなりショックを受け、ふて寝ならぬ、ふて散歩に出かける。公園に行き、ベンチに座ってメモを開くも、タヌキを魅了させるほどの文章は出てこない。

 それで一旦帰宅し、またタヌキを連れて公園を散歩し直す。そして今度はお姉さんの方がタヌキに尋ねるのだ、「あなたはどうして雨が好きなの?」と。いつものように、紙に文字を書いて答えるのかと思いきや、タヌキはお姉さんに差し出されたメモを無視して歩き出す。その瞬間、メモに雨粒が落ち、すぐに大雨になるのだ。まるで、タヌキが雨になることを予感していたかのように。雨が好きなお姉さんは突然の雨を喜び、大雨の中、傘をもささずに二人で濡れて歩く。大きな水たまりで二人で遊び、口数の少ない物静かなお姉さんが大きな声で楽しそうに笑うのが、印象的な話だ。

【第22話 「雨の日」】

 「雨と君と」というタイトルを象徴するようなこの話は、結局、お姉さんが雨を好きな理由がはっきりしない。だが、「はっきりしない」からこそ、大雨が降って喜ぶ無邪気なお姉さんの姿に、みずみずしい感動がある。少なくともそう感じさせる文学的な含みに満ちている。それは、二人の名前が分からないことにも繋がっているように思える。名前が分からない不思議な秘めやかさは、何かを好きであることに言葉は時に不要であることを、表現しているのかもしれない。

【第67話 「雨模様」】

 こういった文学的な含みのある、叙情詩のような雰囲気を、「雨と君と」という作品は随所に放っている。それは、話の内容からだけでなく、作者である二階堂幸氏の美術作品のように美しい絵からも感じ取れる。そもそも、二階堂幸氏は抜群に画力が高く、特に、上記の「天気予報」の話もそうだが、雨の描写がずば抜けて上手い。また、単行本各巻にフルカラーイラストも掲載されているが、どれもおしゃれでセンスが良く、色や線が綺麗で、一幅の絵画として成立している。セリフやモノローグなどがなくても、その絵一つ一つが、鮮やかで華がありつつ、どこか儚い。その深い表現力は、特筆すべきものがある。

【第21話 「台風」】

 「雨と君と」は、そんな二階堂幸氏の絵の美麗さが遺憾なく発揮され、タヌキの可愛さ、犬のフリの面白さと、お姉さんの理想的な生活への憧れが合わさって、癒されもするけれど叙情的な何かが心に残るマンガになっている。タヌキのフリップ芸がおかしくて、ついついページをめくっているうちに、叙情詩のような空気にのめり込んでしまうこと請け合いだ。気が付いた頃にはタヌキに化かされるがごとく、その文学性の高さに舌を巻いているに違いない。