レビュー
舞台を降りた天才ピアニストがブサカワ猫に救われていくマンガ「おじさまと猫」
不器用な音楽家たちを猫が癒して繋いでいく、「おじさまと猫と音楽」の物語
2024年8月30日 12:04
- 【おじさまと猫】
- 月刊少年ガンガンにて連載中
- 著者:桜井海
月刊少年ガンガン(スクウェア・エニックス)とガンガンpixivで連載中の「おじさまと猫」は、累計発行部数278万部を突破している、桜井海氏の人気作だ。2017年にX(旧Twitter)に投稿された4ページのマンガがリツイート14万、いいね29万という、驚異的に拡散されたことがきっかけで、単行本化、雑誌連載、2021年にはドラマ化と駆け抜けてきた。
「おじさまと猫」は、そのタイトルどおり、主人公のおじさまと猫のお話なのだが、敢えて言うならば、「おじさまと猫と音楽」のマンガである。端的に言えば、妻が亡くなったショックで舞台に立てなくなった天才ピアニストが、ペットショップの売れ残りのブサカワ猫を飼い、元気をもらって、また舞台に立てるよう、再起を図る物語だ。
ペットショップの売れ残りのブサカワ猫と、舞台を降りた天才ピアニストとの出会い
全ては一匹の猫から始まった。ペットショップでどんどん値下げされても売れ残り、その間に子猫から成猫になってしまったブサイクなエキゾチックショートヘアの雄猫だ。猫自身、客からブサイクだのハナクソだの言われ、他のペットばかり売れていく日々にもはや諦めモード。誰も自分なんて欲しがらにゃい、と悲しみに暮れていた。
ところがある日突然、中年だがハンサムで紳士なおじさんが、可愛いと一目惚れしてこの猫を購入する。愛し気に抱っこするおじさんに、猫は嬉しくて涙をぽろぽろこぼす。そのおじさんの正体は、神様の最高傑作とまで呼ばれる、天才ピアニスト、神田冬樹(かんだふゆき)。亡き妻と交わした、猫を飼う、という約束を果たすため、ペットショップにやって来たのだ。他人が何と思おうとも、神田にとってはどこをどう見ても可愛い猫。出会えたことが幸福だから、「ふくまる」と名付け、愛情たっぷりに初めての猫飼い生活をスタートさせる。
売れ残り続けたせいで、ネガティブが染み付いたふくまるは、最初は怯えていて、家に連れて帰られても、なかなかキャリーケースから出てこないほどだった。広い家だから、きっと神田には家族がいて、もし、家族にこんな猫いらないと言われたらどうしよう、と怖がっていたのだ。だが、この庭付きの広い一軒家に神田が一人で住んでいると知り、ふくまるは独りぼっちの神田にすり寄る。自分には現れるはずがないと思っていた飼い主である神田を、ふくまるはパパさんと呼び、家の中のどこにでもついていき、寝るときも一緒にベッドに入る。ペットショップにいた頃は散々ブサイクと言われてきたが、神田は何度も可愛いと言い、抱いたり撫でたりしてくれるので、ふくまるは次第に明るく前向きになっていく。
神田は、もともと、妻と二人の子供と一緒に4人でこの家に幸せに暮らしていた。そして、子供も大きくなって巣立っていったので、妻のかねてからの希望だった猫をそろそろ飼おうか、と話していた矢先に、妻は亡くなってしまったのだ。愛妻家の神田にとって、妻の鈴音(すずね)は特別な存在だった。小学生の時に出会って以来、ずっと妻一筋で、彼女以外誰とも付き合ったことはない。年を取ってもラブラブで、生業のピアノコンサートが終わると、すぐに妻に会いたくなるぐらいだった。そんな最愛の妻の訃報は、神田がコンサートに出演している最中に突然届いた。娘の電話に、ショックを受けながらもアンコールまで弾ききった神田は、その時の無理が祟ったのか、妻の死後、6回目のコンサートで舞台の上で倒れてしまう。それ以降、神田は表舞台から姿を消したのだ。
今は、神田は音楽教室で児童にピアノを教えて生計を立てている。本来なら、音楽大学の教授をしていてもおかしくはないし、実際、勧められたのだが、神田はそれを断った。音楽家を目指す学生たち全員の夢が叶うわけではない、厳しい業界を知っているが故に、学生たちが絶望する姿を、神田は見たくないのだという。そんな自分を臆病だと評する神田は、音楽教室で児童にピアノを教えることに、それなりにやりがいを感じていた。職場の同僚にも恵まれ、教えている児童たちにも慕われて、神田は喪失感をなんとかやり過ごす日々だった。
ふくまると神田の、何気ない日常がとにかく可愛い
こうして始まった、傷心の神田と、ネガティブに苛まれたふくまるの一つ屋根の下の生活は、お互いがお互いを大好きで、なんてこともない日常がとにかく可愛いのである。
たとえば、ふくまるが神田の家に来て間もない頃、同じベッドで寝ていても、猫は眠りが浅いので、ふくまるは何度も目が覚めてしまう。その度に、ふくまるは、目の前に神田がいることを確認し、夢じゃにゃいにゃ、と安心して再度寝る。それを繰り返す内に、本当にそこにいるにょ?、と背中に手を伸ばし、もみもみして神田が確かに存在することを確認するのだ。だが、ふくまるの手が気になって眠る神田の体は自然とふくまるから離れていく。ふくまるはパパさんが離れていくにゃぁ、と悲しくなって泣いてしまうのだが、その声で神田は起きてしまい、寝返りを打ってふくまるを驚きの目で見る。神田の驚嘆した表情に、ふくまるは、怒ってるにょ?ごめんにゃさい、ふくまるは下で寝るにゃ、とぷるぷる震えながら半泣きになる。
この辺りが愛され慣れていないふくまるの、可哀想なところなのだが、ふくまるが大好きな神田は、「寒くないかい」と声をかけてふくまるに布団をかけ直し、「いい子…いい子だね…」と寝かしつける。神田の愛情にふくまるは感激して目を潤ませ、パパさん大好きにゃ、と顔をもみもみするのだ。そして翌朝、神田は神田で、目が覚めて寝ぼけながら、ふくまるが隣で寝ていること、ただそれだけが嬉しくて、じーん、と感動する。ささいなことに、大きな愛を感じて大げさなぐらい喜ぶふくまると神田に、読んでいるこちらまで胸がいっぱいになる。
また、猫はだいたい風呂が嫌いで、ふくまるも例にもれず、濡れるのを嫌がるのだが、神田が風呂に入っているちょっとの時間も離れるのが寂しくて、勇気を振り絞って風呂場に入ってくるようになるのも愛おしい。神田の傍にいるために、浴槽のフタの上に座って喉をゴロゴロ鳴らすのだ。それ以外にも、畳で寝転がっている神田の上を、ふくまるがのしのしと歩いて通り過ぎたり、机の上で書き物をしている神田のペンにちょっかいを出すふくまるが面白くて、書き物そっちのけで神田がペンでふくまると遊んだり、なんてことはない日常に、小さな幸せがたくさん詰まっている。
そんなふくまると神田の心温まるやりとりは、13巻まで発売された今も変わらない。神田は毎日のように、「なんて可愛い猫がうちにいるんだ!今日も最高に可愛いねえ!」と叫びながらふくまるのお腹に顔を突っ込み、満面の笑みで頬ずりする。ふくまるも、変わらず玄関で神田の帰りを待つし、ベッドで一緒に寝る。猫と人間なので、言葉が通じるわけではないが、崖から落ちたらどうするか、という神田のたとえ話に、ふくまるは、パパさんの元に行くにゃ、と答え、いつも一緒だよ、互いに抱き合って気持ちを確かめ合うのだ。
猫が繋いで癒していく、個性的な音楽家たち
神田とふくまるのほっこりした関係は、神田の悲しみを和らげ、ふくまるのネガティブな気持ちを上向きにさせ、読者としては二人を見ているだけで満ち足りた気持ちになる。猫という生き物には、不思議な力があるのかもしれない、そう思わせてくれるほどだ。
そんな、猫が持つ不思議な力は、神田以外の音楽家たちの、固く閉ざされた心も癒していく。本作にはさまざまな音楽家たちが登場し、ふくまる以外の猫もたくさん登場するが、その中でも神田とふくまるに特に縁が深いのが、日比野奏(ひびのかなで)である。
日比野は、日本で最も神田冬樹に近いと言われるほど実力がある、次の世代のピアニストだ。海外公演も多くこなし、国内外での評価も高い。日比野も子供の頃は、神田に憧れ、いつか追い抜いてやると意気込んでいたが、それは本人の演奏を前にしてあっけなく砕け散ってしまう。圧倒的な才能の差に、打ちひしがれるしかなかった日比野。がむしゃらに練習し、何百万回と弾き続けてきたが、上達すればするほど、歴然とした才能の差を突き付けられる。その苦しみが大きすぎて、いつしか神田なんか消えてしまえばいいのに、と願うようになるほど、いびつな対抗心を持つようになってしまっていた。
日比野は悔しさもあり、同じ業界にいても、神田に自ら話しかけることはなかった。人間関係に臆病な神田からも話しかけることはなく、そのまま神田は業界から姿を消した。そんな二人に全く接点などはなく、日比野の一方的な嫌悪だけがあったのだが、猫という生き物は、二人をいとも簡単に結びつける。
ことの発端は、日比野が、母親からエキゾチックショートヘアの雌猫を押し付けられたことに始まる。一人暮らしの日比野は、ペットを飼う予定などなかったのだが、母親が、ペット禁止のマンションに引っ越すから、という理由で、半ば飼育放棄していたマリンと名付けた猫を日比野に無理矢理渡したのだ。日比野が子供の頃から、自己中心的だった母親は、息子がピアノコンクールで優勝しても興味を示さず、息子の晴れ舞台よりも新しい彼氏とのデートを優先するような人間だった。猫という生き物に対しておもちゃのような扱いをする無責任な母親に、日比野は怒り心頭だった。だが、本来は人の良い日比野は、母親が放置していった猫を無下にすることはできず、飼育経験ゼロながら、マリンを飼う決意をするのだ。
そうと決まれば、日比野は早速、ペットショップに必要なものを買いに行く。店員に勧められるまま、トイレや猫砂、キャットフードに猫ハウスなど大量に買い込んだ日比野は、荷物の重さで店内でうっかり転倒してしまい、荷物をばらけさせてしまう。そこですかさず「大丈夫ですか」と声をかけてきたのが、何の因果か、神田冬樹だったのである。神田もちょうど、キャットフードを買いに来ていたのだ。
神田に対して屈折した気持ちのある日比野だったが、神田の方も、ピアノを弾き続ける日比野に今の姿を見られたくない、という気持ちがあった。だが、転倒してペット用品を散らかした日比野を見て、体が勝手に動いたのだ。神田はその場で、自分も猫を飼っていることを話し、猫飼い未経験の日比野の家に今から手伝いに行くと申し出る。クールで落ち着いたイメージのあった神田が、かなりの猫好きでこんなに前のめりだとは思っていなかった日比野は、最初は断ったが勢いに押され、結局神田に猫飼いのノウハウを教えてもらうために家に招き入れる。
そこでまたもや運命的な出来事が起こる。マリンを一目見た神田は、ふくまると兄弟かもしれない、と直感するのだ。日比野は半信半疑だったが、神田が是非にというので、結局後日、日比野はマリンを連れて神田の自宅を訪れる。そこで、本当に兄弟のふくまるとマリンは、奇跡的な再会をするのだ。言葉が通じないながらも、神田と日比野は会った途端に仲良くじゃれるマリンとふくまるに、深い絆を感じ取る。
それ以降、長年同じ業界にいながらも関わることのなかった神田と日比野は、ふくまるとマリンを通じて交流を持つようになり、日比野の神田への意固地になっていた歪んだ感情は氷解していく。海外公演の際はマリンを神田に預かってもらい、神田も、ふくまるが失踪した時に日比野に協力を仰ぐほどになる。二人は友人になったのだ。そして、マリンを猫かわいがりする日比野は、マリンを飼ってから、自身のピアノの演奏に淀みがなくなり、キラキラ輝くようになったと感じている。まさにマリンが、日比野の硬くなっていた心を柔らかくしてくれたからだろう。
そして、それは日比野だけじゃない。神田を異常なまでに憎悪していたジョフロワ・ランベールという天才ピアニストや、過去に神童と言われていたが今は落ちぶれて飲食店でピアノを弾く九重輝明という青年も、捨て猫を拾ったり、ゴミ屋敷に放棄された猫を保護したりして、猫に出会い、猫の可愛さで心を癒し、神田や日比野と親密な関係を築くようになる。そこには、音楽家たちの、音楽に対する飽くなき情熱と、その情熱が故に絡まってしまった複雑な心情があり、その頑なさを猫たちが癒し、繋いでいくのだ。
猫がいて毎日幸せ。それでも再起を目指す天才ピアニストと、彼を支える猫の物語は続く
こんな風に、音楽家たちの閉ざされた心を癒し、繋いでいく猫の力は偉大で、神田も日々、可愛いふくまると過ごせること、たくさんの猫と関われることに、幸せを感じていた。
家に帰ると愛猫のふくまるが待っている、そして職場の同僚にも恵まれ、教えている児童たちにも慕われて、毎日が充実していた。だが、妻が亡くなった悲嘆から順調に回復しているように見えて、神田には一つ、気がかりなことがあった。それは、自分が教えている児童たちの、演奏会に、自分がちゃんと出席できるかどうかだった。というのも、先述の通り、神田は舞台に立てなくなってしまった身。当初は、自分が出演者側ではなくて、観客側なら大丈夫だろう、と安易に考えていた。しかし、神田の事情を全く知らなかった同僚の森山良春に、ピアノコンサートに誘われて一緒に聴きに行ったら、途中で退出を余儀なくされるほど息苦しくなってしまい、己がコンサート会場にいることさえできない状態であることに気付いたのである。
子供たちの演奏会を、先生として支えてあげたいし、そうするべきだと思うのにできないのなら、自分はピアノ講師失格だ、と責任感が強く、一人で思いつめてしまうタイプの神田は、勤務先に辞職を願い出る。だが、リーダーを始め、多くの同僚たちに慕われていた神田は引き留められ、周りに助けてもらえばいい、と言われて退職は思いとどまった。だからこそ余計に、半年後の演奏会までには、症状を治したい、と思うようになる。
医者も試したが、コンサート会場にいられないという限定的な症状を、神田は克服することができないでいた。そんな折、同僚の森山が、事情を知らずにピアノコンサートに誘ってしまったことを詫び、そしていつか、いつでもいいので、自分がボーカルをやっているバンドのライブに来てほしいと願い出る。神田は一瞬躊躇するが、底なしに元気で明るい森山に、ライブハウスは狭くて部屋みたいなものだから多分大丈夫、3分でもいいので、と朗らかに誘われ、思わず、いいですよ、と答えてしまう。とはいえ、承諾してすぐに不安に駆られて、もし会場で倒れたら演奏を止めてしまうかもしれない、と神田は、子供の頃からの友である小林夏人に相談する。
小林は、森山と同じように底抜けに明るく、人懐っこい性格の、音楽とは無縁の友人だ。だったら試しにライブハウスに行ってみよう、と小林が提案し、二人はライブハウスに行くことになる。ピアノコンサートの会場とは違い、ライブハウスは音楽が激しくて騒がしく、観客も声を上げて楽しむ。その一体感は、神田が初めて経験するもので、音楽は最高だ、と心から思え、呼吸困難になることもなく、最後までライブを楽しむことができたのである。これで森山のライブにも行くことができると、神田は心底喜んだ。
そして、肝心の森山のライブだが、神田が行った時に、とんでもないことが起こってしまう。なんと、森山以外のバンドメンバーが無断で姿を消したのだ。観客は満杯だったが、ステージには森山一人。突然のことに戸惑う森山は一人でステージの上で呆然と立ち尽くし、観客の方も、ライブは中止になるんじゃないかとざわつく。これは要は、バントメンバーによるイジメだった。馬が合わなければ事前に脱退すればいいだけなのに、こうしてステージに一人残して恥をかかすのだ。バンドは事実上、解散だった。
突然バンドメンバーを失い、一人になってしまった森山だったが、森山の音楽への情熱は消えなかった。もともと森山に目をつけていた音楽プロデューサーに、別のメンバーと組んでバンドとしてデビューする話を持ち掛けられ、森山は自分の音楽を多くの人に聴いてもらい、天辺を目指すため、バンドメンバーを探しに奔走することになる。
そうはいっても、希望通りのバンドメンバーを集めるのは至難の業だ。森山のバンドメンバー探しは難航し、痺れを切らしたプロデューサーには、1週間後までに見つからなければこの話はなかったことに、と言われてしまうのだ。共に音楽を作り上げ、苦楽を共にしていくバンドメンバーが、1週間やそこらで見つけられるはずがない。焦って困り果てた森山は手当たり次第に声をかけるし、神田にも助けを求める。森山を放っておけない神田は、一緒になってバンドメンバー探しに奔走するのだが、その時に、神田が感銘を受けたのは、森山の決して自分の音楽を諦めない、眩しさだった。がむしゃらに頑張る森山の姿に、神田はかつての自分を重ねる。過去、自分にもひた向きにピアノに向き合った時があったと。
そこで、神田はようやく、心に火を灯すのだ。親切な同僚たちに囲まれ、やりがいのある仕事をし、帰宅すれば愛猫がいる、毎日十分すぎるぐらい幸せな日々。だが、心のどこかで、このままでいいのだろうか、とずっと考えていた。森山のバンドメンバーが見つかったことを見届け、深夜に帰宅すると、いつものように玄関で待っていたふくまるを抱きしめて、神田は誓うのだ。妻のために弾いていたピアノの音を止めたくない。皆に聴いてもらいたい。だから、必ず舞台に戻る、と。
決心のついた神田は、まだコンサート会場にいることもできないが、ピアニストとして復帰するため、ふくまると共に立ち上がる。ふくまるも、パパさんを守るにゃ!だから安心してにゃ、とぎゅっと抱き締めて答える。神田も、ふくまるに、これからもお世話になるね、とお願いする。再起を図る神田の道のりはきっと険しいが、パパさん大好きでずっとそばにいてくれるふくまるがいるなら、不思議と大丈夫な気がしてくる。
今後、どうやって神田が復帰に向けて努力していくのか、本当にピアニストとして舞台に戻れるのか、その時ふくまるは神田をどんな風に励ましたり慰めたり応援したりするのか、ますます続きが気になる「おじさまと猫」。一度読んでしまえば、互いに互いを大切に想い合う、神田とふくまるの優しい関係を、今後もずっと見守りたい、そう思わずにはいられなくなること間違いなしだ。