レビュー

「釣りキチ三平生誕50周年特別版 O池の滝太郎」レビュー

圧倒的な画力で描写される大自然と三平の格闘をオリジナルサイズ+2色カラーで楽しめる

【釣りキチ三平生誕50周年特別版 O池の滝太郎】

6月25日発売

価格4,180円

出版社:山と渓谷社

サイズ:B5

ページ数:468ページ(2色+1色)

 「週刊少年マガジン」ほかで1973年より連載が開始された「釣りキチ三平」。その生誕50周年を記念し、山と渓谷社より「釣りキチ三平生誕50周年特別版 O池の滝太郎」(以下、「特別版 O池の滝太郎」)が発売された。

 「釣りキチ三平」は作者の矢口高雄氏による、釣りをテーマにしたマンガのパイオニアといえる作品で、釣りキチ(大の釣り好きの意)の主人公三平三平(みひら さんぺい)が国内外の魚たちに挑む物語が描かれる。天真爛漫で人なつこい性格の三平と、釣り場で出会う人々との関わり、そして矢口氏の圧倒的な画力で描かれる大自然の描写が大きな見どころで、1970年代後半から1980年代の子どもたちの間に一大釣りブームを巻き起こした。

 この「特別版 O池の滝太郎」では、連載エピソードの中でも人気の作品を「週刊少年マガジン」連載時と同じB5サイズの判型で楽しむことができ、さらに連載当時の2色カラー原稿も収録した永久保存版といえる内容だ。

 現在もその詳細が明らかにされていない幻の魚「タキタロウ」に、覚えたばかりのルアーフィッシングで挑む三平の奮闘を描く物語が収録された本書のレビューをお届けしよう。

幻の魚「タキタロウ」にルアーで挑む三平の姿を描いた連載初期の人気エピソード

 筆者と「釣りキチ三平」との出会いは、小学生の頃だった。週刊少年マガジンは毎週ではないものの読む機会が比較的多い雑誌だったが、本作は週をまたぐ長編がほとんどで、追っかけでコミックスを買って読む余裕はなかった。ファンになるきっかけとして決定的だったのは1980年に本作がアニメ化されたことだ。日本アニメーション制作によるアニメ版「釣りキチ三平」は、一部のエピソードを除いて原作をほぼ忠実にアニメ化していた。原作の画力の忠実再現とはいかないものの、マンガでは味わえない動きによる演出や軽快なBGM、三平役の野沢雅子さんや鮎川魚紳役の野沢那智さんらキャストの好演もあり、その頃釣りに興味を持ち始めていた筆者を虜にするには十分な内容であった。このアニメ版は先日までYouTubeで全話が公開されていたので、見た人もいるかもしれない。このアニメ版をきっかけにさらに本作にのめり込んだ筆者はKC(講談社コミックス)版全65巻を入手し、作品を楽しんでいる。

 今回「特別版」として発売された「O池の滝太郎」は、全65巻のKC版の8巻~9巻に収録されたエピソードで、連載としてはかなり初期にあたる。三平はこのときに初めて「ルアーフィッシング」(疑似餌を使った釣り)という西洋の釣りを経験している。三平にルアーフィッシングを教えるのはほかならぬ彼の良き兄貴分で親友の釣り師・鮎川魚紳(あゆかわ ぎょしん)なのだが、本編には三平がルアーと出会うきっかけなったもう1人の重要な人物が登場している。全日本キャスティングコンクール日本チャンピオンの白川由美(しらかわ ゆみ)である。そのキャスティングの腕前で幻のタキタロウをルアーで狙う美女で、本編では過去に彼女と魚紳との間に一悶着あったことも触れられている。

 現在もスピンオフ作品が作られるほど人気キャラクターの鮎川魚紳だが、本作では連載開始から2度目の登場で、この頃はまだ“日本全国を釣り歩く風来坊釣り師”であり、ウイスキーをボトルで持ち歩いて釣り場でラッパ飲みするような粗野な様子も見せていた。そんな中で彼は由美のキャスティングに対し「しょせん女のママごとあそび」「釣りは実戦、見せものまがいの曲芸ができるからといっていい気になるんじゃねえぜ」と一喝、それに憤った彼女は幻の魚タキタロウを得意のルアーとキャスティングで釣り上げることで実戦の釣りの腕を証明し、魚紳の鼻を明かそうというのである。

 本作の次のエピソードとなる「磯の王者」では、魚紳の生い立ちや顔に傷ができた原因が語られるのだが、後に多くの女性ファンのからの要望により紳士的な性格が強調されるようになったそうだ。

 三平は魚紳の手ほどきにより初めてルアー釣りをするのだが、いきなり上級者向けのタックル(竿やリールなど道具一式のこと)で完璧なキャスティングを決めてしまうのだから彼の天性の釣りキチぶりに魚紳も舌を巻くのであった。

作中の1シーン。魚紳さんとともにルアーとリールでタキタロウを狙う三平

幻の魚「タキタロウ」とは……!?

 本作で三平が狙うタキタロウについて紹介しよう。タキタロウとは山形県鶴岡市の「大鳥池」に生息するとされる幻の魚だ。本作内では次のように説明されている。

一、滝太郎はその昔よりO池にすむ珍魚なり
一、身の丈およそ三尺三寸にして体側に斑点あり
一、冷水を好み直射日光をきらう故、水底深くにすみ時折水面に出ては餌をあさる
一、食性はどん欲なり度警戒心がすこぶる強く敏捷にして人目につくことはまれなり
一、秋には沢に登りて産卵しその一生を終わるも死骸が発見されたるためしなし
一、かつて、幾百人これに挑みても釣られたるためしない
一、その身は白身の魚にて美味なることこのうえもなし

 地元にも100年以上前から伝承があるそうで、上記説明はそれが元になっていると思われる。その大きさは2m以上、体色は茶褐色で斑点があり、尾びれが大きく下あごが発達し、上あごに食い込んでいるという。20世紀に入ってから目撃例や捕獲例はあるものの決め手となる記録はなく、現在も調査が続けられている。2014年にも調査が行われ、その模様が「デイリーポータルZ」の記事でレポートされているので気になる人はご覧いただきたい。

 O池でタキタロウを狙う三平達は、ヘビとイワナの群れが戦うところに遭遇する。自然の中で行われる弱肉強食の勝負はイワナに軍配が上がるのだが、そこで体長1mを超える巨大な魚影を目撃、それが逃げ去った先にすかさずキャストした三平のルアーに何か大物がかかり、池に引きずり込まれてしまう。何とか立ち木にしがみついた三平だったが、ルアーには身を食いちぎられた大イワナの頭だけだが残っていた。

 池に引きずり込まれたときに、三平はO池の水底に巨大な亀裂(三平は「地球のわれめ」と呼称)を発見し、巨大魚がそこに入り込んでいく様子を目撃した。この亀裂がタキタロウの巣だと見込んだ三平は、O池で知り合った木地師(きじし)の四代目滝太郎と魚紳の力を借り、丸太を削った丸木舟を作って、魚紳とともにタキタロウの住む地球のわれめへと挑んでいくのだ。

 「釣りキチ三平」には「左膳岩魚」や「カルデラの青鮒」、「デビルソード」(ブルーマーリン/カジキ)などなど創作の巨大魚が数多く登場し、三平がそれに挑むことが物語の軸となるエピソードも多いが、このタキタロウはそれらとはまた違う、未確認生物(UMA=Unidentified Mysterious Animal)に近い存在というのが実に夢がある。1970年代当初はオカルトブームのまっただ中で、多くの人達がUFOや超能力、超常現象に夢中になった。UMAに関してはネス湖のネッシーや、比婆山連峰のヒバゴン、アメリカのビッグフットなどが知られ、日本で特に有名なツチノコについては、矢口氏も1973年に「幻の怪蛇バチヘビ」で話題を取り上げて執筆している。

「ヤマケイ文庫 幻の怪蛇 バチヘビ・シロべ」。本書と同じ山と渓谷社より発売中

 作中で大鳥池を「O池」とぼやかしているのもミステリアスだった。今なら検索で一発で見つけられてしてしまうが、当時その手立てはなく、“もしかすると実在する池かもしれない”というリアリティが感じられた。本書は1985年に矢口氏がタキタロウについて記したことをあとがきに載せていて、それによると矢口氏もリアリティを出すとともに、現地に人が押し寄せて迷惑がかからないようO池と表記したが、タキタロウを本作のテーマに据えたことで、その存在が広く知られNHKの調査取材まで実施されてしまったことを憂いていたというのだ。

 ところが現地の反応はまったく逆で、タキタロウが広く知られたことにより現地に釣り人が訪れるようになったことが思わぬ村おこしに繋がり、大鳥池とタキタロウそして三平が描かれたPR用パンフレットまで作って感謝の気持ちを届けたのだとか。同じような境遇で育った矢口氏には過疎の村の人々の気持ちがよくわかり、村当局の気持ちにも同情している。

 現在の大鳥池のある鶴岡市にはタキタロウの資料展示をする「タキタロウ館」や、「タキタロウ公園オートキャンプ場」といった施設があり、毎年5月には「タキタロウまつり」も実施されるなど、観光客誘致に積極的だ。もちろん大鳥池は遊漁料を払えば釣りが可能で、三平が狙った幻の魚に挑めるというのも実にロマンがある。

山形県庄内地方のウェブメディア「庄内コンシェルジュ」より、「タキタロウ館」のページをキャプチャ。タキタロウの模型や資料が展示されている

B5判型・468ページ、2色のカラー原稿が魅力のコミック単行本

 ここでは本書の仕様や内容についても紹介していきたい。何より迫力なのはB5サイズの判型だ。週刊少年マガジン連載時と同じサイズで、単行本ならではの紙質と印刷の美しさもあるので、矢口氏の繊細なタッチやスクリーントーンの貼り方まで確認できるのが嬉しいポイント。2色ページは数えたてみたところ中扉や目次も含め27ページほどで、見開きのカットがあるのも見どころだ。さらにこの2色ページには三平の幼なじみのユリちゃんの○○○な姿がここにあったのはちょっと驚かされた。

筆者が個人的に購入した本書。B5判のサイズのみならず、全468ページのボリュームも圧巻だ
「O池の滝太郎」が掲載されたKC版第8巻とのサイズ比較。連載初期なのでKC版表紙の三平の顔は初期の絵柄だ
本書冒頭の口絵。2色の見開きページだ。KC版にこのイラストはなく、描き下ろされたもののようだ

 本書には前述の矢口氏によるあとがきのほか、タキタロウの調査報告レポートや「三平のタックル&ルアー大解剖」といったコラムが掲載されている。特に後者は、三平や由美が劇中で使用したルアーやリールなどが実物の写真で紹介されていて、矢口氏が実在する道具をもとに作画していたことがわかる。ルアーフィッシングという舶来の釣りが子どもたちの間に浸透し始めた頃に見た道具は、当時を知っている身としては実に懐かしく感じられた。

コラム「三平のタックル&ルアー大解剖」。1970年代から1980年代にかけてルアー釣りにはまった人にはグッとくる内容だ

 「釣りキチ三平」という作品は、卓越した作画で読者を自然の中へと引き込み、三平という天真爛漫な主人公が釣りを通して出会った釣り人や関係者との友情をはぐくんでいく。三平が挑む魚は現実と創作の中間として描かれ「もしかするといるかも……!?」と思わせる存在感が大きな魅力だ。作中には「矢口釣りコーナー」が設けられ、矢口氏本人による三平がする釣りに関するの解説コーナーもあり、釣りにあまり興味がない人でも、三平がどんな釣りをしているのかがなんとなく理解できるのだ。

 筆者の友人は本作を講談社の「コミックDAYS」で先日まで期間限定で無料公開されていた電子版で読んだそうで、「釣りにまったく興味がない俺でも楽しめた」と絶賛している。物語だけでなく作画の素晴らしさに加え、女性ゲストキャラクターの美しさやセリフ回しなどに魅了されたとのこと。筆者はそれを聞いて、本作のマンガとしての完成度の高さを改めて実感した。

 今回の書籍化は生誕50周年記念のものだが、矢口氏の作画を大判で眺められるのは実に素晴らしい企画で、コレクションとして集めたくなる装丁もいい感じで、ぜひシリーズ化を希望したいもの。個人的には筆者が特に好きなエピソードの「シロギスの涙」や「カナダのサーモンダービー」、「ニンフの誘惑」などの長編もいいが、短編の傑作を集めたものも見てみたいところ。

 三平くんのキャラクターは今も筆者は大好きで、目を奪われるような美しい情景の中で彼が魚や自然と戯れる作画はいつ見ても心が躍ってしまう。この「特別版 O池の滝太郎」は連載時に読むことが叶わなかった大判サイズの原稿を見ることができて大満足だ(老眼にも優しい)。

 画集的な意味合いとしても価値のある書籍で、釣りに興味がなくてもきっと楽しめる内容なので、ぜひ購入してその興奮を共有していただきたいものだ。最後に作者の矢口氏が亡くなる直前に、娘の高橋かおる氏の依頼で描いたという「O池の滝太郎」のイラスト(一周忌にかおる氏によって公開されたもの)をリンクして本稿を締めくくりたい。