レビュー
囲碁ブームを巻き起こした不朽の名作「ヒカルの碁」レビュー
2.5次元舞台化も決定!! 深遠な囲碁の世界を描く美しきヒューマンドラマ
2024年5月5日 00:00
- 【「ヒカルの碁」1巻】
- 1999年5月5日 第1刷発行
「週刊少年ジャンプ」(集英社)にて1999年2・3合併号より連載が始まった「ヒカルの碁」は囲碁を幅広い世代に広めたパイオニア的作品で、ジャンプの連載作品として名を残す名作マンガの一つだ。
本作は、平凡な小学生の少年が天才囲碁棋士の霊に取り憑かれたことで囲碁の世界に巻き込まれ「神の一手」を目指していくというストーリー。原作をほったゆみ氏、作画は「DEATH NOTE」や「バクマン。」などでも知られる小畑健氏が手がけた。さらに、囲碁という特殊な競技から、プロ棋士の梅沢由香里氏(日本棋院)を監修に迎えたトリプルタッグで描かれている。
完璧な布陣で、囲碁の深遠な世界を表現することに成功した本作は、2001年にアニメ化。豪華声優陣によって魅力的なキャラクター達に魂が吹き込まれ、作品内で映し出される盤上の白熱した戦いと、ヒューマンドラマには多くの人が魅せられた。これをきっかけに囲碁を始める少年少女が急増加し、瞬く間に“囲碁ブーム”を巻き起こした。
余談だがプロ棋士の関達也氏(四段※令和6年)は、本作を読んだことがキッカケでプロになったという。
また、平成の名作達があらゆる形で再び陽の目を浴びる機会が多くなってきた昨今、連載終了から21年が経過しているにも関わらず、「ヒカルの碁」が2.5次元舞台として令和に蘇ることとなった。
未だ人気の衰えない本作は、今年コミックス1巻発売から25周年という節目を迎える。この機会に「囲碁ブーム」を巻き起こした不朽の名作「ヒカルの碁」の魅力を、今改めて振り返りたい。
主人公・進藤ヒカルの成長と共に突き動かされていくキャラクター達によるヒューマンドラマが美しく、熱い
そもそも囲碁は、白と黒の石を交互に置いていく淡々とした動作の競技だ。スポーツのように大きな動きがなくマンガとしてはかなり扱い辛い題材なだけに、本作は少年誌で囲碁を題材にした作品として、異例のヒットを成し遂げたといえる。
ヒットの大きな理由の一つに、キャラクターの心理描写を中心に対局が展開していることが挙げられる。
小畑健氏による作画がキャラクター達の心理や戦略を美しく細やかに、時に泥臭くダイナミックに表現しており、読者を物語に惹きつけた。美麗なキャラクター達が盤上に石を放つシーンは迫力満点で、囲碁を知らない読者にもその世界の奥深さと古典競技としてのかっこよさを十分に知らしめた。そのため、作画やキャラクターのビジュアルから入る読者も珍しくなく、老若男女問わず親しみやすい作品となっている。
本作の魅力は、主人公・進藤ヒカルの成長過程と、個性溢れるキャラクター同士が絡み合うことで生まれるヒューマンドラマ、そして知識の有無に関わらず囲碁の世界を堪能できる臨場感溢れる対局シーンだ。また、リアルな囲碁に幽霊という程よいファンタジー要素によって少年誌向けに読みやすく仕上がっている。
ここでは作中のエピソードを一部振り返りながら、本作の魅力を深掘りしたい。
ヒカルと佐為の出会い
・ 「なぜなら私はまだ・・・神の一手を極めていない」(藤原佐為/コミックス1巻/第1局/棋聖降臨)
物語は主人公である平凡な小学生・進藤ヒカルが、平安時代最強の碁打ち・藤原佐為に取り憑かれることによって始まる。
普通のやんちゃな小学生だったヒカルは、囲碁の知識も興味も全くなく、自分に取り憑いた佐為がどれほどの打ち手なのかを知る由もなかった。千年にも及ぶ佐為の「神の一手」への情熱に根負けしたヒカルは、たまに打つくらいなら、と佐為を受け入れた。
佐為がまだ極めていないという「神の一手」。これが作中の重要な鍵となってくる。
ライバル・塔矢アキラとの邂逅
そんなある日、ヒカルが佐為にせっつかれて訪れた碁会所で、四冠プロ棋士・塔矢行洋を父に持つ、囲碁の天才少年・塔矢アキラと出会う。対局を佐為に打たせていたヒカルはおぼつかない手つきとは裏腹に、プロのお手本のような碁を打ち、アキラに未だかつてない敗北感と衝撃を与えた。
圧倒的な強さを持ちながらも、棋士の世界を軽んじているヒカルの発言が許せなかったアキラは、その後再びヒカルに挑むが、その時も佐為によって一刀両断にされてしまう。
周りには大人の棋士ばかりの特殊な環境で育ってきたアキラ。自分より強い子供はいないと、どこかで自負もあったはずだ。だがそれは、ヒカルに出会ったことで打ち砕かれる。初めての挫折に眠っていた闘志が目覚めた。ヒカルという壁を乗り越えなければ「神の一手」を極めることなどできないのだと、ヒカルへ執着し始める。ライバルとの思いがけない邂逅に、運命が大きく動き出した瞬間だった。
勉強も苦手で熱く真剣になれるものもなかったヒカルは、囲碁の世界に真摯に向き合う佐為やアキラの姿を見て疎外感を感じるが、アキラの囲碁への熱い情熱には強く影響を受けた。全く興味のなかったはずの囲碁だが、アキラの情熱に魅せられたヒカルはアキラを目標に歩き始める。ライバルに出会ったことでお互いに新しい世界が広がっていく様子がドラマティックで、惹きつけられる。
佐為と塔矢行洋の対峙
息子のアキラが同級生に二度も負けたことで、ヒカルの存在に注目し始めた四冠棋士・塔矢行洋。碁会所の前を通りかかったヒカルは、無理矢理碁会所へ連れていかれる。初めて対峙する塔矢行洋に、ただならぬ気迫を感じる佐為。長らく勝負の世界を生きている佐為だからこそ感じ取れるのだろう。
行洋は、名人の自分に対してアキラは置き石(※ハンデのこと)3つのみのプロ並みの腕を持っている、とヒカルに語る。彼自身もアキラは他の子供とは別格だと思っていた。だからこそ、そんな息子に勝つ子供がいるのは信じられなかったのだ。
ヒカルとアキラがライバルとして出会ったように、ここで佐為も、ヒカルを通して同じく「神の一手」を極めんとする行洋と出会う。
アキラとの出会いをきっかけに、ヒカルと佐為は囲碁界全体を巻き込みつつ、様々なドラマを繰り広げながら「神の一手」を目指していく。
中でも塔矢アキラと、その父・塔矢行洋は、ヒカルとの出会いによって棋士としての人生を大きく変えることになる2人だ。佐為の力に引き寄せられるように、それぞれの運命が大きく動き出していく。
囲碁を題材にした本作だが、単に主人公が強い棋士達と戦って成長していくだけでなく、ヒカルが成長していく度に見せるヒューマンドラマが多くの読者の心を熱くした。対局シーンが映えるのは、ヒカルをはじめ、ヒカルに出会うキャラクター達のバックボーンも大事に描いているからに違いない。
囲碁部での青春
・ 「今おまえの方がフケルたぁどーいうことだよ!!」(三谷祐輝/コミックス5巻/第42局それぞれの決断)
中学生らしく囲碁部での青春を謳歌していたヒカルだが、ある日、アキラを追って院生試験(※日本棋院のプロ棋士養成機関)を受けることを決意する。しかし、院生はアマの大会には出られない、つまり囲碁部の仲間との別れを意味する。せっかく生まれた囲碁部の信頼関係はヒカルの一言によって崩れかけるが、突如現われた将棋部の加賀により、三面打ち(※一人で三人を相手に対局すること)でそれぞれ気持ちに折り合いを付けることに。その結果、最終的に囲碁部の仲間に背中を押してもらう形となったヒカル。最初は誰よりも納得がいかなかった三谷も、打ち切ることでヒカルを送り出した。三谷の「負けました」という小さなつぶやきが切なかった。穏やかな門出とは言えないが、仲間達とのひと時の青春を経て、最初とは打って変わって、今度はヒカルがなりふり構わずアキラを追いかける番となる。
院生~プロ試験
・ 「オレはプロになる!おまえの前に立つんだ!塔矢おまえの前に!」(進藤ヒカル/コミックス11巻/第93局/プロ試験最終戦)
院生になったヒカルは、周りの院生のレベルの高さに圧倒され、スランプに陥ることもあった。やっとの思いで予選を勝ち抜き、ようやく始まったプロ試験本戦では、後味の悪い伊角との一局や、手に汗握る激戦続き。棋士としての精神面が試された。
プロ試験最終戦では、塔矢アキラが自ら指導した越智康介が障壁となって現われる。強敵に対し途中苦戦を強いられるヒカルだが、持ち前の冷静さを発揮し、越智を上回って見事合格を手にし、ようやくアキラを本格的に追う準備が整った。ヒカルのプロ棋士としてのスタートはここから始まる。
だが、合格した瞬間のヒカルの描写はなく、ヒカルが合格したことで不合格が決まった伊角慎一郎にフォーカスされている。プロの世界の厳しさをまざまざと感じた。ヒカルとのプレーオフの吉報を待った伊角の緊張感と絶望感は計り知れない。棋士の世界の華やかさだけを見せる単純な夢物語ではなく、敗北や苦悩、挫折、再起まで丁寧に描いているところが、本作の深みに繋がっている。
プロ~佐為との別れ
・ 「神はこの一局をヒカルに見せるため 私に千年の時をながらえさせたのだ」(藤原佐為/コミックス14巻/第116局/千年の答え)
ヒカルによって叶ったネット碁での「sai vs toya koyo」は、佐為が懇願していた塔矢行洋との真剣勝負。ヒカル・佐為・行洋にとって大きな変化をもたらす一局となる。読者にとっても長らく待ち望んだ対局だっただろう。ヒカルも2人の中心で見られるこの一局から刺激を受けようとしていた。
作画から溢れる佐為の所作の美しさと、二人の迫力と厳かな空気感が素晴らしいこの一局は、僅差で佐為が勝利する結果となる。
終局後、じっと盤面を見つめていたヒカルは行洋に勝ち筋があることに気が付く。ヒカルが佐為の一手先を読んだ瞬間でもある。その瞬間佐為は、自分がこの一局をヒカルに見せるために存在していたことに気付く。同時に自分がもうすぐ消えてしまうことを悟り、ヒカルの未来に対して嫉妬心を抱き始める。
この一局で、行洋はプロを引退することになるが、「sai」との対局で行洋なりの新たな神の一手への道を見つけ、晴れやかな表情をしていたのがとても印象的だった。
ここからヒカルと佐為の会話が減り、2人の間に陰りが見え始める。これほど神の一手を追求してきたのに、神の一手に向かうのはなぜヒカルなのか、三度目の正直でも報われない佐為がいたたまれない。一度目は虎次郎が佐為に身を委ね、本因坊秀策として存分に自分の碁を打ち歴史を残し、二度目はヒカルを導くために存在した佐為。この物語の「神の一手」への道筋が少しずつ見えてくる重要なシーンとなる。大切な人との別れを予感してしまうほど切ないものはない。
・ 「神さま!お願いだ!はじめにもどして!アイツと会った一番はじめに時間をもどして!!」(コミックス15巻/第128局/最後の手がかり)
行洋との対局後、佐為はヒカルの前から突然姿を消した。佐為は自分がもうすぐ消えてしまうことをヒカルに伝えていたが、日々忙しい自分の気を引くためだと、ヒカルは軽くあしらっていた。佐為に最後にとった態度は取り返しのつかないものとなってしまったのだ。
動揺したヒカルはプロとしての大事な手合いをいくつも休み続ける。本因坊秀策の足跡をたどりながら佐為を探すヒカルは、日本棋院の資料室で秀策の古い棋譜を眺めながら、もっと早く佐為の強さに気づけなかったことを激しく後悔し泣き叫ぶ。ライバルとはいえ手合いを休み続けるヒカルを心配し、葉瀬中まで様子を伺いにきたアキラに対し「オレはもう打たない」とここで再びアキラを激高させる。
佐為との突然の別れによって、ここでまた一つ精神面での成長も問われるヒカル。
別れを受け入れる覚悟ができた時のヒカルはどうなっているのか、本作が成長をリアルに描かれているからこそ先の展開が気になる。情緒的で緩急のあるストーリーが読者を煽っていく。
・ 「オレ 碁をやめない ずっとこの道を歩く これだけ言いに来たんだオマエに」(進藤ヒカル/コミックス17巻/第140局/決心)
自分が打たなければ佐為が戻ってくるんじゃないか、そう思っていたヒカルは、囲碁を打たない日々が続いた。そんなある日、突然自宅に訪れた伊角慎一郎に「オレのために打ってくれ」と頼まれたヒカルは、久しぶりに碁を打つことに。伊角との対局の中で、どこを探してもいなかった佐為の存在を自分の打つ碁の中に見つけ、打つことが佐為に会うただ一つの方法だと気付く。
そこから再起したヒカルの強さは圧倒的なものだった。格上の棋士達を恐れることなく、ずば抜けた集中力と毅然とした冷静な判断力で勝ち星を上げていく。佐為から得たものは、棋士としての技術や強さだけでなく、ヒカルの心の強さそのものでもある。
いわゆる「佐為編」のクライマックスになるのだが「打つことで佐為に会える」というあまりにも美しい答えにたどり着くヒカルに、マンガとしての完成度の高さをひしと感じた。
囲碁の実力だけでなく、囲碁を通して内面の成長も丁寧に描いているのが非常に素晴らしく、筆者は何度読んでも涙が出てしまう。
成長していくにつれて周囲の環境も変わり、周りのキャラクター達にも大きな変化を及ぼしていくヒカル。最初は佐為とアキラに出会い、次に囲碁部の仲間、そして院生仲間、プロ棋士達……人が成長していく上での環境の変化まで自然に描かれているところに、よりリアリティーを感じる。ヒカルと出会ったキャラクター達が刺激を受けて変化して行く様子にも、人生の美しさを感じた。
アキラは初めてのライバルに出会い眠っていた闘志が目覚めた。そして父親から離れ、一人のプロ棋士として、常にヒカルを刺激しながら「神の一手」を目指していく。アキラの父・行洋は、佐為との対局でプロを引退し、プロとしてのあらゆるしがらみから解放され、より自由に「神の一手」を追求し始める。
佐為は幽霊ではあるが、ヒカルが成長したことで自らの役目を終え、長きにわたった神の一手への道のりをヒカルへと引き継いだ。だが「藤原佐為」という棋士は、例え実体がなくとも、ネット碁とヒカルの打つ碁の中に確かに存在した棋士となった。ヒカルが碁石を持ち始めたその日から、出会ってきたもの全てがヒカルの碁の中に詰まっているという事実に震えるほど感動した。
ストーリーとしては、1~17巻が「佐為編」、19~23巻が「北斗杯編」になっているが、「北斗杯編」では、日中韓ジュニア団体戦が舞台となる。佐為との別れを経たヒカルが本格的にプロとして独り立ちし、アキラと切磋琢磨しながら中国・韓国棋院のジュニア棋士と戦う様子が描かれた。
「神の一手」とは一体どのような一手なのか、何かを極める道には終わりがないことを示唆している本作は、余韻を残した終わり方をする。読む人によってはスッキリとした最終回ではないかもしれない。
だが、作中で桑原本因坊(※本因坊はタイトルの一つ)が「一人の天才だけでは名局は生まれんのじゃ 等しく才たけた者が2人いるんじゃよ 2人揃ってはじめて 神の一手にー」(コミックス17巻)が、ほぼ本作の答えと言っていいだろう。
佐為は「神の一手」を極めるためにヒカルを導き、今度はヒカルとアキラが切磋琢磨しながら極め、そしてまた次の世代へ。全編通して、果てしない囲碁の世界と、それぞれの成長をリアルかつ丁寧に描いているところが本作ならではの魅力となり、多くの読者を最後まで魅了し続けた。
まさにスルメマンガ。角度を変えて何度でも読めてしまう「ヒカルの碁」
囲碁知識の有無に関わらず楽しめる本作だが、知識が少しあるだけでもその面白さは倍増していく。作中には「右上スミ小目」、「星」、「ケイマ」、「ウッテガエシ」、「天元」、「ツケ」、「一間バサミ」など、これらの専門用語が必殺技のような響きの役目も担っていると言える。多くの人に囲碁を打ってみたいと思わせたのは、こういった専門用語を作画と共にあえて大胆に見せたことによって、様々な層の読者の興味をそそったところもあるだろう。
筆者も本作で囲碁に興味を持ち、囲碁を覚えた読者の一人だ。囲碁知識がない時はキャラクターの心理描写だけを追っていたが、実際に囲碁を勉強した後に読むと、対局シーンで噛り付くように盤面を見てしまうようになり、数回読んだだけでは収まらない面白さが生まれてくる。
また、ヒカル以外のキャラクターにフォーカスしてみるのも面白い。中でも、院生パートから登場する伊角慎一郎は、なかなかリアリティのあるキャラクターだ。メンタルの揺れ動きが生々しく、ミスをしたり、ここぞのところで力を出し切れないところがあったりと歯がゆさがある。そこが人間らしくて身近に感じてしまうような、彼にしかない魅力がある。
他にも、ヒカル達メインキャラクターと同じくらい、本作の説得力とリアリティーに大きく貢献している、周囲の大人キャラクター達も見逃せない。若手棋士とは違った、アクの強い大人の棋士達の言動や挙動は、酸いも甘いも経験し、長らく勝負の世界で生きてきた大人ならではの泥臭さや意地、渋さを感じてしみじみとしてしまう。だからこそヒカルやアキラ達若手棋士達の勢いと、精神力の高さが際立っている。
連載当時、囲碁人口が一気に増加するほど影響力を持った本作。大人になって読むと、あらゆるキャラクターの魅力や心情に気付けるようになり、より一層面白くなった。
囲碁は自由度が高く、戦略性も高い競技なだけに、打ち手のメンタルや性格、時には人生まで映し出されるという。本作が奥深い世界を描きながらも長く愛され続ける理由は、やはり囲碁という競技の特性を活かして、キャラクター達を大切に描いた結果と言える。
難しいマンガだと思われがちだが、決してそうではない。出会いが人を成長させることを教えてくれる素晴らしい作品だ。読んだことがある人もない人も、是非「ヒカルの碁」で囲碁の世界を覗いてみてほしい。
読み終わる頃には、ちょっと碁石を持ってみたくなるだろう。
(C)ほったゆみ・小畑健/集英社
(C)歌絵巻「ヒカルの碁」製作委員会
(C)ほったゆみ・HMC・小畑健・ノエル/集英社