特別企画

「DEATH NOTE」がコミックス1巻発売から20周年! 「計画通り」など未だに大きな足跡を残す衝撃作

【「DEATH NOTE」第1巻】

2004年4月2日 発売

単行本1巻表紙

 2024年4月2日、マンガ「DEATH NOTE(デスノート)」の単行本1巻の発売日からちょうど20年が経った。(連載開始は2003年)

 「DEATH NOTE」は、原作は本作がデビュー作となった大場つぐみ氏、作画は「ヒカルの碁」などで有名な小畑健氏という、ふたり体制で連載が始まった。

 特に大場つぐみ氏は過去の活動歴が一切明かされないまま(※2024年現在も変わらず)、「DEATH NOTE」という衝撃作を発表し、その後も「バクマン。」や「プラチナエンド」など、小畑健氏とのタッグで次々とヒットを飛ばしている、謎が多い作家だ。

 本作が連載されていたのは集英社のマンガ雑誌「週刊少年ジャンプ」。主人公の夜神 月(やがみ らいと)が、名前を書いた人間を殺す(死なせる)ことができる死神のノートを手に入れたところから、物語は始まる。

こちらは原画展「DEATH NOTE EXHIBITION」の公式Xより。様々なシーンのマンガのコマが投稿されている

 単行本は全12巻(+短編集1巻)で、全世界累計発行部数3,000万部以上を売り上げた、異例の大ヒット。2006年6月に夜神月を藤原竜也さんが演じ、月のライバルとなる世界的探偵Lを松山ケンイチさんが演じたことで話題を集めた、実写映画が公開された。その後2006年10月にはTVアニメ、2015年4月にミュージカル「デスノート THE MUSICAL」、2015年7月には窪田正孝さん主演のTVドラマが公開されるなど、連載終了後も様々な方面で広く展開している。

物語の中心となるのは、「デスノート」

デスノートは、読んで字の如く、「死のノート」である。
そのルールは、「デスノート」の冒頭に記されている。

 ・ デスノートに名前を書かれた人間は死ぬ。
 ・ 書く人物の顔が頭に入っていないと効果はない。ゆえに、同姓同名の人物に一遍の効果は得られない。
 ・ 名前の後に人間界単位で40秒以内に死因を書くと、その通りになる。
 ・ 死因を書かなければ全てが心臓麻痺となる。
 ・ 死因を書くと更に6分40秒、詳しい死の状況を記載する時間が与えられる。

 ~以上、単行本1巻「HOW TO USE IT I」より~

 デスノートは本来死神たちが下界の人間の名前を書き込むことで、書き込んだ人間の残り寿命を奪いながら生きていくためのものだが、ノートを手に入れた人間もノートを使うことができる。ただし死神のように寿命を増やすことはできない。

 このノートを拾ったのが、高校生で全国模試1位という秀才の、夜神 月だった。

 最初はノートに書かれた説明を悪戯だと思っていた月だが、たまたまテレビで目にした立てこもり事件を見て犯人の名前を書き込んだり、街のチンピラの名前を書き込んだりしたところ、これらの人物が本当に死亡したことから、ノートが本物であると確信。

 「このノートを使えば犯罪者のいない綺麗な世界が作れる」、「その新世界の神となる」という思想に目覚め、まずは凶悪犯罪者の名前をかたっぱしから書き込んだ月の前に、ノートと落としたという死神・リュークがやってくる。更にストーリーは、世界の迷宮入り事件を何度も解決してきた「世界一の探偵」と呼ばれるL(エル)が登場する。

こちらは月と対峙することになるL(エル)

 この頃既に新世界の神として「キラ」と呼ばれ始めていた月に対して、「どのような考えであれ、おまえのやっていることは悪だ。おまえを死刑台に送る」とテレビの生中継で断罪するL。それに「僕は正義だ!」と憤る月。お互いに顔も名前もわからず、だが見つけた方が死ぬという月とLの運命の対決が、始まってゆく。

 ……という物語の冒頭の時点から話にぐいぐいと引き込まれ、ページをめくる手が止まらなかったのを覚えている。単行本1巻が発売される頃には周囲でも「デスノートっていうマンガ、もう読んだ?」なんていう話題が飛び交うよりも、「デスノートは読んでいて当たり前」という空気になっていたものだ。

 ちなみに第1部、第2部含めて全12巻という巻数を、「意外と短かったな」と感じた人もいるだろう。その通り、「DEATH NOTE」は実はこれだけのヒット作とは思えないほど短い巻数で幕を閉じている。

 しかしとにかく一話一話の情報量が多い。月とLとの濃密な心理戦を描いているので、普通のマンガを1冊読み終えるまでの倍以上の時間がかかったりする。なので、12巻でも20冊以上のマンガを読んだような気持ちになるタイトルだ。

 かくいう筆者もこの記事を書くにあたって改めて「DEATH NOTE」を読み直したが、たった12巻でありながらほぼ丸一日かかってしまった。

 しかし改めて読み直して思ったのは、「DEATH NOTE」はやはり非常に面白い、という至極当然な事実だ。

こちらは死神のリューク

 何度も読んで最後まで展開を覚えているのに、数年ぶりに読んでもストーリーの展開に飽きることがない。スピーディなのはもちろんのこと、普通の人間には想像もつかない高次元な頭脳戦を繰り広げる「DEATH NOTE」は、死という重い物を背負っているのに鮮やかさがあり、月側L側それぞれに爽快さもある。

 その爽快感の理由のひとつとも言えるのが、小畑健氏による作画だった。なお、「美形ならば、この人に勝る漫画家はなかなかいない」と筆者は思っている。

 しかも小畑健氏の絵は、ただ美しいだけではない。シリアスな顔から、ギャグのような顔芸まで実に違和感なく描き切る。特に月の顔芸で有名なのは「計画通り」だろう。恐らく「DEATH NOTE」を読んだことがない人ですら、このコマだけは知っているという人もいるのではないだろうか。

 この「計画通り」は月とLの壮大な心理戦を、(このターンでは)制した月の「してやったり」というコマである。

 当時週刊少年ジャンプを読んでいてこのコマが出てきた時の衝撃たるや、なかなか言葉では表しにくい。

 そもそもこのシーンの月は、ただLとの心理戦を制しただけではなく、未来の自分自身の行動すら完璧に読み切った上での勝利。その流れには、薄っすら寒気すら覚えたものだ。

月というダークヒーローと、Lという日陰の太陽

 頭脳明晰。眉目秀麗。文武両道。月を表す言葉はたくさんある。そんな月は冒頭で述べた通り、そもそもは正義感の強い生真面目な性格で、周囲からの信頼も厚い、純粋さのある好青年だった。

 しかし、月がデスノートを手にして「犯罪者のいない綺麗な世界を作る」とその純粋さを暴走させてしまったが故に、悪人だけではなく自身を操作していたFBI捜査官やL派の人たち、警察官など、いわゆる“善”側の人間も躊躇いなく殺していくようになる。

 平然と嘘をつきつつ相手の心を掴む人心掌握術、序盤こそ思い悩んだもののすぐに良心も消えて人を殺せるようになった冷酷さ、そしてその頭の良さから生じたナルシスト的な気質、こう書くと夜神月という人物は間違いなくサイコパスのように感じられるが、実際にはデスノートさえ拾っていなければただの善人でしかなかった可能性が高く、筆者は月を、全てデスノートに狂わされた被害者とも言えると思っている。

 とは言えこれはあくまで“たられば”の話であり、マンガ「DEATH NOTE」の中で夜神月がデスノートを拾わなければという世界線は存在しないし、デスノートを拾う以上、月は必ずダークヒーロー「キラ」として世界に君臨する存在になる。

 そんな月に最も近かったL。恐らくふたりが本当の意味で友情を育むことは有り得ないが、白々しい表面上の友情と、その薄氷の上でやり取りされる敵意が、月とLとを強く結びつけていたのは事実である。

 月が社交的な天才ならば、Lは協調性に欠ける変人的な天才だった。

 ふたりともある意味で幼く、平然と嘘をつき、Lは自分のこともキラのことも「負けず嫌い」とも言っている。そんな似ているふたりがそれぞれ正義の側と、純粋悪の側に身を置くことになったのは、自身の悪性の認識だったとも言えるだろう。

 月は独りよがりな正義を振りかざすのに対し、Lは自分自身が全部正しい訳ではないのだと(言うなれば自分自身も悪人であると)正しい自己分析ができており、結果的にその自己分析による己の在り方がふたりを正義と悪とに分け隔てたのだと、そんな風に思う。

実写映画もドラマ版も好きでした

 「DEATH NOTE」は冒頭の通り、多数のメディアミックスがされた作品だ。

 正直に言うと、映画版「DEATH NOTE」が発表され、藤原竜也さんが月役だとわかった時は、ちょっとイメージが違うかなと思った。(一方、L役の松山ケンイチさんはすごいハマり役だと思ったのだが……)

 しかし実際に映画を見てみると、藤原さんの演技が実に素晴らしい。「DEATH NOTE」の魅力のひとつに一見ギャグのような顔芸もあると記したが、ラストに向かっていくにつれての藤原さんの狂気を孕んだ表情が、マンガ版を彷彿させる。マンガの実写映画化はあまり期待をしない、というのが常だった中、こんなにも原作に迫ることができるのかと感じられた。

 ちなみにこう書くと「マンガ版をそんなにしっかりと再現しているのか」と思われそうだが、実際には“再現”ではない。映画しか見ていない人にも伝わるような改変はあちこちで行なわれており、更に「現実世界に落とし込んだ時に不自然にならない設定変換」なども多々行なわれている。例えば月には、秋野詩織というマンガ版には存在しない彼女がいたりした。

 それでもこの映画は確かに「DEATH NOTE」であった。原作の持っている重要な部分と、描かなくても良い部分、そして映画というエンターテイメントに変換するにあたって重視すべきことをきちんと踏まえた作品だったと思う。

 20年近く前の作品とあって地上波でも何度も放送されている作品だが、もしもまだ見たことがないというファンがいたら、ぜひ見てみてほしい。

Prime Videoで視聴

 そして実写化と言えば、TVドラマ版もあった。こちらは設定から大幅な変更がされ、月はなんと居酒屋でバイトするアイドルオタクで公務員志望の平凡な大学生。その月を、俳優の窪田正孝さんが演じた。L役は同じく俳優の山崎賢人さんだ。名前を書けば死ぬというデスノートの設定以外はほぼ新規に書き下ろされたと言っても過言ではない、新たな「DEATH NOTE」と言える作品だ。

 こちらはオリジナル脚本だけあってファンからは賛否両論あったのだが、あくまで新たな「DEATH NOTE」として見れば充分良くできている作品で、筆者は本作で描かれる新たな平凡な青年(しかもドルオタ)の月が面白くて、結局ちゃんとしっかり最後まで見てしまった。

 マンガ版のファンが見るとツッコミどころは多いものの、TVドラマという場所でお茶の間で見てもらうサスペンス劇としては充分良くできていたと思うので、こちらは「原作とは全く別物」であることを理解した上で、興味のある人は見てみてほしい。

 ちなみに窪田さんも、藤原さんに負けない顔芸を披露してくれている。やはり非常に演技の上手い役者さんだと、しみじみ感じる。こちらも見どころだ。

日本テレビのTVドラマ版「DEATH NOTE」のページ

 なお、TVアニメ版も映画版と同様もう20年近い前の作品となるが、月役の声は声優の宮野真守さんが担当している。筆者は未だに宮野さんが担当した声で好きなキャラクターを聴かれるとこのアニメ版「DEATH NOTE」の月を挙げるほどだ。

 アニメはもちろん多少端折られたりしている部分はあるものの、かなり原作と同様の作りがされており、原作ファンも文句なしのアニメ化となっている。まだ見たことがない人におすすめしたい作品だ。

日本テレビのTVアニメ版「DEATH NOTE」のページ

なお全国にて展覧会「DEATH NOTE EXHIBITION」が順次開催されている