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神と人類がタイマンを張る! コテコテだがそこが良い。直球勝負のバトルマンガ「終末のワルキューレ」に感じる魅力
2024年5月19日 00:00
- 【「終末のワルキューレ」1巻】
- 2018年5月19日 発売
神vs人類のガチンコバトルを描く「終末のワルキューレ」(月刊コミックゼノン、コアミックス)は、本日コミックス1巻の発売から6周年を迎えた。
「終末のワルキューレ」は、神々による人類滅亡の決議に待ったをかけた戦乙女ワルキューレが、人類史上最強の英傑達を選出して神へ戦いを挑むストーリーで、原作・梅村真也氏、構成・フクイタクミ、作画・アジチカの3名体制で描かれている。
「月刊コミックゼノン」にて2018年1月号より連載開始後、緻密な作画から生み出される個性的なキャラクター達のダイナミックなバトルアクションで一気に話題となり、その話題性から、2018年5月に発売されたコミックス1巻は大量重版、2023年7月に累計部数は1,500万部を突破した。さらに、2021年6月にはグラフィニカによってアニメ化、Netflixで全世界同時配信されると、宗教的な面での賛否を呼びながらも、世界80カ国でTOP10入りを果たすなどその人気は一気に加速した。
本作の魅力は、緻密に描き込まれた迫力のあるバトルシーン、神話や伝説、史実を現代的な視点から解釈された様々なキャラクター達が戦う姿や、それぞれの個性や能力が物語に加わることで生まれる戦略性が多くの読者を魅了している。さらに、バトル中に描かれるキャラクター達のバックボーンからは哲学的なメッセージ性を感じられたりと「神vs人類」というストレートな設定ながら読み応えのある作品だ。
今回は、アニメ化の効果も相まって、世界中で人気作となった「終末のワルキューレ」のド直球なストーリーの中にある魅力についてご紹介したい。
戦乙女ワルキューレの一人・ブリュンヒルデによって開催される 神 vs 人類最終闘争「ラグナロク」
物語は、1000年に一度、全世界の神々が一堂に介し、天界で開催される「人類存亡会議」から始まる。
人類が冒してきた愚かな行いにより、全会一致で「終末」の判決が下される直前、半神半人の戦乙女ワルキューレの長姉・ブリュンヒルデが異議を唱えた。
・ ブリュンヒルデ
ブリュンヒルデは神 vs 人類最終闘争、通称「ラグナロク」を提案。13番勝負・先に7勝した方の勝利というルールで、全世界の神々と人類史から選出された13人の英傑達が、1対1のタイマン勝負をすることになる。
人類が神を凌駕するなど不可能と嘲笑される中、ブリュンヒルデは「もしかして、ビビってるんですかァ?」と神々を煽る。その言葉が逆鱗に触れた神々は、ラグナロクの申し出を承諾。同じく戦乙女ワルキューレの13女・ゲルを連れて、人類史から最強の13人の代表を選出しラグナロクへ挑む。
・ ゲル
・ ゼウス
ブリュンヒルデは神の神器に対抗すべく、戦乙女が闘士と共鳴し、その闘士に最も相応しい武器へと自らを変態させる「神器錬成(ヴェルンド)」を行なう。
加えて、仏界の「一蓮托生」をもとに、闘士と戦乙女の命をも共鳴することで、神殺しの力を手に入れることにも成功。よって錬成された神器には、戦乙女の神名の意味が特性として秘められている。
神器を手に神に立ち向かう人類。果たして神とのタイマンに勝利し、終末を阻止できるのか? というのが本作の大まかなストーリーだ。
現代的な視点での新解釈で個性的なキャラクター達
「銀魂」や「Fate」シリーズ、「キングダム」など、歴史上の人物を描いた人気作品は多々あるが、本作に登場するキャラクター達は、既存作品とは若干異なるアプローチで描かれているところが面白い。ここでは、読者人気も高く、本作ならではの面白みを感じる設定のキャラクターを一部紹介する。
例えば、クールな美男子、時に隙のない戦闘狂として描かれることの多い「佐々木小次郎」は、史実だと巌流島の戦いで宮本武蔵に敗北したエピソードが有名だが、本作の小次郎はイケおじビジュアルの「史上最強の敗者(ルーザー)」として登場する。
自分よりも強い相手を求め、敗け続けたことで史上最強となったという設定で、敗けた相手との戦を反復し、頭の中でシミュレートすることで強くなっている。
バトルの最中、あくまで小次郎の主体を保ちつつも、生前の好敵手である宮本武蔵の二刀流に目覚めるシーンは胸が熱くなる。小次郎の立ち居振る舞いも達人感が漂っていて渋いところもかっこいい。
第2回戦「ポセイドンvs佐々木小次郎」の対戦で「ここで・・・逃げるわけにはいくまい・・・吾を強くしてくれた先達に・・・吾の血肉となってくれた森羅万象(すべて)に申し訳がー立たぬ!!」(コミックス4巻/第16話/最強の敗者)という小次郎のセリフからは小次郎の武士の心が表われており胸を打たれる。史実をベースに新解釈された設定が斬新だ。
日本人にも馴染みのある「釈迦」の設定も痛快だ。
お釈迦様というと、優しい笑みを浮かべ、穏やかで慈悲深いイメージを持っている人は多いだろう。だが、本作のお釈迦様は、ヤンキーマンガさながらのイケメンなビジュアルで「頼(よろ)」、「五月蝿え」と口調もヤンキー。自分中心、喧嘩上等な性格な上に戦術も武闘派で、想像する仏様とはかけ離れた「思春期真っただ中」という設定だ。
釈迦が悟りを開いた時に生まれたと言われている「天上天下唯我独尊」の解釈に、現代的なエゴイズムを感じる。とはいえ、それはあくまで表面的な見え方で、釈迦の自分中心とは即ち、心に芯を持っているというところが素敵だ。
第6回戦では、本来神側でありながら、突如人類側から参戦する釈迦。「神が救わぬなら俺が救う」、「邪魔する神ならー 俺が殺る」(コミックス11巻/第43話/6回戦)というセリフや、対戦相手である神側の「零福」の魂を仏の心で救済する姿で、一気に読者の心を鷲掴みにした人気の高いキャラクターでもある。いわゆる「優しいヤンキー」のようなベタな設定だが、それをあえて仏様に落とし込んでいる所にギャップがあって、筆者も作中では一番好きなキャラクターだ。
人類側で登場する「アダム」もパンチの効いた設定だ。
人類の始祖で「全人類の父」であるアダム。美しく整ったベビーフェイスだが神話のとおり全裸スタイルなところはどこかシュールさがあって良い。
象徴を覆う葉っぱに思わずふふッと笑みがこぼれてしまうが、神側の対戦相手ゼウスに戦う理由を問われたアダムの「子供たちを守るのに、理由なんているのかい」(コミックス3巻/第10話/楽園追放)というセリフに圧倒的「お父さん」を見て感動した。
作中で描かれるアダムは史実と若干異なり、イヴが蛇に濡れ衣を着せられたことによって楽園を追放されてしまい、アダムはイヴを追って禁断の果実を口にしたことになっている。そのため、アダムの背景的には神への怨恨が理由でもおかしくないが、そこを子供たちを守るために戦うというアダムはお父さん以外の何者でもないだろう。
出立からは予想もつかない武闘系の基本スタイルと、全裸で整ったベビーフェイスな人類の父という奇抜な設定で人気のあるキャラクターの一人だ。
主に人類側の紹介になってしまったが、もちろん神側にも魅力的なキャラクターが登場する。基本的に対戦ごとにメインとなるキャラクターが入れ替わっていくので、様々な魅力に触れられるようになっている。個性的なキャラクターが登場する度に「どう戦うのか」が気になりストーリーに夢中になってしまうところは本作ならではの魅力だ。
観客席には、バトルに登場するメインキャラクターとゆかりのある神や偉人達も登場し、バトルを熱く見守っている。そこも見所の一つだろう。
戦略性の高いバトルシーンの中、命懸けの戦いに映し出されるキャラクター達の心
本作には、様々なバックボーンを持つキャラクター達が登場するが、命懸けのラグナロクでは、キャラクター達の人間性や彼らが直面する問題も表われてくる。
筆者は、第4回戦「ヘラクレスvsジャック・ザ・リッパー」がかなり印象強く残っている。
神側の「ヘラクレス」はギリシャ神話においてゼウスと人間の子として生まれた半神半人。本作のヘラクレスも史実ベースに屈強な肉体と精神を持ち、自分がラグナロクで勝った上で人類救済を申し出ようとするなど、かなり正義感の強い神だ。
対する人類側のジャック・ザ・リッパーは、誰もが知る1888年イギリス中を恐怖に陥れた連続殺人鬼で、その残酷さは作中でブリュンヒルデも「クソ中のクソ ゲボカス野郎」と語るほど、悪の権化ともいえる人物。
「正義」と「悪」が明確な第4回戦。それまでの戦いで「呂布」、「佐々木小次郎」、「アダム」など人類を代表するに相応しい英傑達が選出されていただけに、ヘラクレスは怒り心頭、人類側もジャックの登場には非難の色を示していた。
ジャックの神器は十一女フレックが神器錬成した、触れたあらゆる物全てを神器へと変える手袋だ。つまり、第4回戦のステージとして用意されたロンドン街全てが神器となることを意味する。しかし「これが私の神器です」とブラフに次ぐブラフの連続。
卑怯さを感じつつも、様々な手法でハッタリの神器を繰り出しては、ヘラクレスを自分の手の内に誘導していくジャックの戦術に魅了され、次の手が気になり夢中になる。
そんなシリアルキラーらしい戦い方を見せるジャックだが、過去回想では「愛を知らずに育った少年」として描かれている。娼婦の元に生まれたジャックは、貧しく過酷な生活を生き抜くために、人の感情を色として見ることができる能力を持っていた。(※あくまでもフィクション)
揺るぎない愛に彩られたヘラクレスを、自分好みの恐怖の色に染めてみたいと、うっとりと薄気味悪い笑みを浮かべるジャックのシーンは、アジチカ氏の高い画力故にかなり気持ち悪くゾッとする。その様子は、映画「バットマン」に登場するカリスマ的なヴィラン「ジョーカー」を彷彿させる。
終盤の激しい戦いの末、ヘラクレスは戦う力が残っていないにも関わらず、消滅する最後まで「いつ いかなる時も 人間を愛している」とジャックを抱きしめた。
最後のジャックのセリフ「私の感情はいまー・・・何色なんでしょうね・・・」(コミックス7巻/第29話/勝ったのはオレだ)は、狂気で埋め尽くされていたジャックの心が揺れ動いた瞬間だったように思う。殺人鬼であるはずのジャックの言動にグッときてしまった。
表面的には悪が正義に勝つという複雑な結果ではあるが、ヘラクレスを自分の色に染められなかったジャックは、ヘラクレスに自分の負けだと伝える。2人の間ではヘラクレスの勝利として幕を閉じた。
作中で一番神らしいヘラクレスの慈愛に満ちた発言には、筆者の荒みがちな心まで包まれるような気持ちになった。ジャックもこんな気持ちだったのだろうかと、ついうっかり殺人鬼であるジャックの心に思いを馳せてしまう。危うい引力のあるキャラクターだ。バトル中に繰り広げられる戦略もストーリーも見応えがあり、ファンからの人気が高いエピソードなのも納得できる。
極めてシンプルな構造で、とにかくバトルを見せることに重きを置いている本作。
筆者は、読み始めた当初一気に心を掴まれた訳ではかったが、読み進めていくうちに高い画力で魅力的に描かれたキャラクターの放つグッとくる一言や、見えないバトルの展開、昔ながらのバトルもののような根性で立ち上がりぶつかり合う姿に、ほんのり懐かしさも感じつつ、だんだんとのめり込んでいった。
全体的にこってこての中二病を感じる設定やセリフも多く濃い作品でもあるが、そもそもそういった点がマンガならではの良さではないかと改めて感じた。
数多くのマンガが存在し、目の肥えた数多の読者達が待ち構えている昨今に、神と人類のタイマンで直球勝負している本作の勢いには目を見張るものがある。「終末のワルキューレ」は入り込むと間違いなく楽しめる作品だろう。
現在、「終末のワルキューレ」は「月刊コミックゼノン」で絶賛連載中、コミックスは21巻まで発売中だ。コミックス最新21巻では「レオニダス王vsアポロン」の激闘の結末に加えて、第10回戦「スサノオノミコトvs沖田総司」の対戦カードが登場している。いよいよラグナロクも終盤戦。ブリュンヒルデの裏の目的も少しずつ明らかになり始めている。果たして人類は神に勝利し存続することができるのか、引き続き今後の展開から目が離せない。
(C)アジチカ・梅村真也・フクイタクミ/コアミックス