レビュー

ウソをウソでねじ伏せる論破バトル! エイプリルフールに激推ししたい「ウソツキ!ゴクオーくん」の魅力

良いウソと悪いウソの違いはどこにある?

【ウソツキ!ゴクオーくん】
著者:吉もと誠
全25巻(小学館)
【ウソツキ!ゴクオーくん 完全版】
著者:吉もと誠
全5巻刊行予定(小学館)
「ウソツキ!ゴクオーくん 完全版」1巻

 4月1日といえば毎年お馴染みのイベント、エイプリルフール。1年でもっとも“ウソ”が注目を集めるタイミングということで、今回はこの日にうってつけの作品を紹介したい。“登場人物みんなウソ吐き”という異色の設定をもつマンガ、「ウソツキ!ゴクオーくん」だ。

暴力なし! ウソ吐きたちの論破バトルマンガ

 「ウソツキ!ゴクオーくん」は2011年から10年にわたって、吉もと誠氏が「別冊コロコロコミック」や「月刊コロコロコミック」で連載していた作品。2016年には、「第61回 小学館漫画賞受賞作品」の児童向け部門を受賞している。またコミックスは全25巻が刊行されており、現在は全5巻の完全版が5か月連続で刊行中だ。

「ウソツキ!ゴクオーくん 完全版」2巻

 主人公の“ゴクオーくん”ことウソツキゴクオーは、ウソを吐いたり他人のウソを暴き立てることに目がない変わった小学生。しかしただの子どもではなく、実はその正体は初代閻魔大王の「地獄王」であり、地獄での仕事をサボりつつ、お忍びで地上にやってきているのだった。

 八百小学校に転入してきたゴクオーは、周囲で起きるさまざまな事件の裏側にひそむウソを見抜き、看破していく。そしてウソを見抜かれた悪人は「地獄」に招待され、“ウソの吐けない舌”をプレゼントされてしまう……。

 作中では、ゴクオーが悪人たちが次々とバトルを繰り広げていくのだが、そこではほとんど暴力の出番はない。すなわち“口先”だけで相手をやり込めるという斬新なバトルが描かれている。とくにユニークなのは、「ウソをもってウソを征す」というゴクオーの戦闘スタイルだ。

 たとえば第38話では、大掃除の日に事件が勃発。図工室で掃除をしていた6年生の鮫照は、箒で遊んでいたときにうっかり窓ガラスや花瓶を割ってしまう。そこで隠蔽工作を行ない、「野球ボールが急に飛び込んできた」というウソを吐くことで、外で野球ごっこをしていた下級生たちに罪をなすりつける。

 それに対してゴクオーは冷静に現場の状況を検分し、「窓ガラスの穴よりボールがデカい」ため、図工室に入り込むはずがないという決定的な論駁を行なう。ところが実はこれは真っ赤なウソ。実際には窓ガラスの穴は、野球ボールがしっかり通るサイズだった。相手の動揺を誘うため、あえて野球ボールより一回り大きいソフトボールを持ってきて、“ボールが通らない”とウソを吐いたのだ。鮫照はまんまとこの発言に騙され、真実を暴かれてしまう。

 一般的な頭脳バトルのマンガであれば、探偵役が推理によって犯人の発言や行動に隠された矛盾を指摘していくのが主な流れだろう。しかし本作の主人公は、自他ともに認める大ウソ吐き。たんなる推理だけでなく、さまざまな“ブラフ”を織り交ぜることで、相手を完膚なきまでに追い詰めていく。いわば探偵vs犯人ではなく、ウソ吐きvsウソ吐きのスリリングな対決を楽しめる。

人間の愚かさを丸ごと愛する閻魔大王

「ウソツキ!ゴクオーくん」1巻

 ちょっとした見栄を張るためのウソ、何かに失敗して怒られるのが怖くて吐いてしまうウソ、誰かを貶めるための悪意あるウソ……。一口にウソといっても、実に色々な種類がある。

 本作ではそのありとあらゆるバリエーションが出てくるため、読んでいると思わず「自分もこんなウソを吐いてしまったことがあるかも……」と共感してしまうはずだ。

 とはいえどんなウソも、たんに断罪されて終わるわけではない。本作の世界において、ウソはしばしば自分の本心を覆い隠すために使われる。つまり本当に向き合うべきものから逃げた人が、悪いウソ吐きになるのだ。

 そのためゴクオーにウソを暴かれた人たちは、丸裸になった自分の本心を見つめ直すことになる。そしてそれをきっかけとして、ひねくれてしまった自意識の殻を破って、あらためて周囲の人々と向き合っていく。

 根っからの悪人なんて存在せず、みんな何らかの事情があってウソ吐きになってしまっただけ。そうした世界観のもと、愚かで愛すべき人間たちの“人生の軌道修正”を描いているのが、本作の面白さだ。

誰よりもウソが下手なヒロイン・小野天子

「ウソツキ!ゴクオーくん」25巻

 また数あるウソのなかでも、とくにゴクオーが魅了されるのは、ヒロインの小野天子が発する「おもしれーウソ」だ。

 天子は純真無垢で人を疑うことを一切知らず、悪意をもってウソを吐くこともない。大天使ウリエルがその心の清らかさを見込み、世界を救う天使に育て上げようとするほどだ。

 しかしそんな彼女であっても、この世界に生きる人間である以上、ウソと無縁でいるわけではない。ただし彼女が発するウソは、悪人たちが吐く利己的なウソとは一線を画している。

 たとえば天子は第4話で、ゴクオーに連れられて地獄へ行き、閻魔大王としての仕事を見学させられる。そして「地獄を知っちまって、こわかったか?」と尋ねられるのだが、ここで2人の関係性を象徴するような名シーンが描かれる。

 ゴクオーは、もし天子が恐怖を抱いていたら地獄と自分に関する記憶を消し、二度と彼女の前には現れないと宣言する。さらにウソを吐いたら大変な目に遭うことを仄めかし、天子に本当の気持ちを言うように迫るのだった。

 しかし天子は恐怖に震え、涙を流しながらも、「こわくない」と答えてみせる。ゴクオーとの記憶を消されないよう、勇気を出して見え透いたウソを吐いたのだ。その胸には、大切な友達を失いたくないという強い気持ちがあった。

 ほかの場面でも天子が発するのは、大切なものを守るための勇気あるウソや、人を傷つけないためのやさしいウソばかり。そこに通底するのは、他人への寛容さや自己犠牲の精神だ。

 こうした彼女の姿を通じて、ゴクオーは人間がエゴイズムに支配されるだけの生き物ではないことを理解していく。天子とゴクオーの関係性が徐々に深まっていく様子は、本作の大きな見どころとなっている。

 人間の愚かな面から愛すべき面まで、さまざまなところを描き出している「ウソツキ!ゴクオーくん」。ウソというひとつのテーマをここまで掘り下げたマンガは、おそらく他に存在しないだろう。エイプリルフールの読書には、これ以上なくオススメの作品だ。