レビュー
料理も化粧もお掃除も! 全てお世話してくれる巨大猫との同居ライフ「デキる猫は今日も憂鬱」
身の回りの面倒くさいことを全てやってくれる夢のような猫との日常ギャグマンガ
2025年1月27日 00:00
- 【デキる猫は今日も憂鬱】
- 月刊少年シリウスにて連載中
- 著者:山田ヒツジ
山田ヒツジ氏が月刊少年シリウス(講談社)で連載している「デキる猫は今日も憂鬱」は、累計発行部数210万部を突破した人気作だ、現在10巻まで刊行されており、2023年7月にはアニメ化、2024年9月にはスマートフォン向けゲームがリリースされた。熊並みに大きく成長した謎の巨大猫・諭吉(ゆきち)が、28歳で限界会社員の飼い主・福澤幸来(ふくざわ さく)のために、あらゆる家事やお世話を完璧にこなす、ハートフルな日常系ギャグマンガ。疲弊した現代人の心を癒すこと請け合いだ。
家事も手芸もプロ並みのデキる猫は、ダメ人間の飼い主に呆れつつも甲斐甲斐しく世話を焼く
帰宅は毎日夜11時、休日出勤、飲み会、社員旅行も普通にある、“限界会社員”の主人公・福澤幸来は、仕事はデキるが、生活能力が全くない、少し困った人間である。諭吉と出会う前は、一人暮らしの1LDKはゴミ屋敷と化し、玄関で寝起きして食事はゼリー飲料ばかりの酷い生活だった。そんな幸来は、ある冬の日に、凍死寸前だった黒い子猫を公園で拾う。諭吉と名付け、飼うことにした幸来は、自分はろくに食事もとらないくせに、諭吉には毎日キャットフードを与え、寝床も用意するという献身ぶりだった。
そういう自分そっちのけの幸来の姿を見て、諭吉は何とかしなければ、と奮い立ち、普通の猫なら絶対できない、ゴミ捨てや炊飯から家事を始めるのである。そして諭吉は、メキメキと家事スキルを磨いていくと同時に、不思議なことに体もどんどん大きくなって、今では幸来のために毎日弁当や食事を作ったり、掃除や洗濯をしたりするほどの、甲斐甲斐しいデキる猫に成長したのだ。
もしかしたら、ここでふと不安になる人もいるかもしれない。タイトルに「今日も憂鬱」とあるので、こんなに健気に頑張る猫が、憂鬱になってしまうような話なのだろうか、と。だが心配はない。諭吉は、幸来の壊滅的な生活能力のなさに日々呆れていて、それが憂鬱なだけである。
とはいえ、幸来の家事のできなさは尋常じゃない。卵の割り方も分からず、電気コンロでフライパンを発火させてしまうほど炊事ができないだけでなく、部屋はすぐに床が見えなくなるほど散らかし、電源タップに飲み物を零して発火していても気付かずに平気で眠り続けるほどなのだ。
諭吉いわく、幸来はダメ人間。そんな幸来のために、諭吉は、栄養満点のお弁当を毎朝早起きして手作りし、毎日部屋も風呂も掃除して夕食を作り、家で待っている。ひとえに、自分を救ってくれた幸来にとても感謝していて、飼い主としてとても大切に思っているからだ。「今日も憂鬱」と思いながら、そこまでする諭吉は、典型的なツンデレなのである。人間が猫のお世話をするのではなく、猫が人間のお世話をする、主従が逆転した二人の関係は、さしずめ社会人版、ドラえもんとのび太だ。
しかも諭吉がすごいのは、ただ料理や掃除をしてくれるだけでなく、幸来が二日酔いで帰ってきたら、しじみ汁を用意して飲ませ、クレンジングで化粧を落としてやり、ドライヤーで髪を乾かした挙句、浮腫み対策のルイボスティーを飲ませ全身マッサージまでして、幸来が寝ている間にフェイスパックまでするという、気の利きようなのである。これでは幸来が、のび太がドラえもんを呼ぶがごとく、「諭吉~」と甘えてしまうのも致し方ない。こんな諭吉と同居できるなんて、幸来が羨ましい。
そして諭吉は、話したり書いたりはできないものの、ちゃんと日本語を分かっており、テレビを見たり本を読んだり、幸来の言葉を理解して意思の疎通を取ったりしている。さらにはテレビも使いこなしており、好きな教育番組を予約して楽しむ諭吉の姿は正直面白い。
諭吉は他にも、だらしない幸来のために、化粧をしてやったり、コーヒーで部屋を汚してもDIYで壁紙を張り替えてキャビネットを自作したり、クリスマスにはセーターを手編みしてプレゼントしたりする。さすがにここまで何でもこなして尽くしてくれる存在は人間でもそういない。さしずめ、現代のドラえもんである。幸来が床でスナックを食べるなど、だらしないことをしていると舌打ちしたり溜息を吐いたりしながら掃除をするところなんかも、のび太を怒りながらつい甘やかしてしまうドラえもんを彷彿とさせて笑いを誘う。
諭吉の体が巨大すぎるが故の、ご近所とのドタバタが微笑ましくて楽しい
有能で存在自体が可愛い諭吉だが、いかんせん体が熊並みに大きいので、その生活ぶりは普通の猫とは違って工夫が必要だ。飼い主の幸来は、猫が人間より大きく成長して家事ができるなんて、人に説明しても信じてもらえないだろうし、頭がおかしくなったと思われても困るので、基本的には職場の人達には黙っている。
だが、近所周りだとそうはいかない。ゴミを出したり洗濯物をベランダに干したり、宅配便を受け取ったり、スーパーに買い物に行ったり、諭吉は隠れずに堂々と行動している。ただスーパーに行くときは、店内に猫毛を落とさぬよう、マナーコートとして手作りの割烹着を着ており、それ以外の時も基本的にはお手製のエプロンを着用していることが多い。
当然熊みたいな猫が割烹着を着てスーパーをのしのし歩いていたら、店員にも客にも不思議がられるわけだが、きっと大きな着ぐるみを着た人が買い物に来ているのだろう、という理解が広まっており、不思議と問題にはなっていない。
また、幸来の家の隣に住んでいるメイさんというおばあさんは、諭吉が子猫の頃から少しずつ成長していったその過程を日々見てきたので、大きくなったことに多少驚きつつも、すんなり受け入れている。このメイさんに諭吉は懇意にしてもらっており、諭吉がゴミ出しを手伝ってあげたり、メイさんから海苔のおすそ分けをもらったりしている。幸来のマンションの大家さんも、メイさんと同じ理由で、諭吉の成長を見知っており、諭吉はゴミの分別の仕方や美味しいコーヒーショップを大家さんに教わった。
とはいえ、諭吉も自分が特殊な巨大猫だという自覚はあり、幸来と二人で4歳の優芽(ゆめ)ちゃんという、幸来の上司の姪の誕生日パーティーに招待された時は、参加者に不審に思われないように、背中にファスナーをつけて着ぐるみ風仮装をして出かけている。やむを得ず近所周りではなく遠くに出かける時は帽子にマフラーとパーカーを着込んだりして人間に紛れ込むこともある。
優芽ちゃんと諭吉はその後も交流を続けており、スーパーで優芽ちゃんの母親が買い物をしている間に、諭吉が公園で優芽ちゃんの子守りを度々するようになるのだ。諭吉と優芽ちゃんは、子供向け料理番組に登場するウミウシ系アイドルUMYU-Sea(ウミュウシー)の大ファンで、子守りはいつしか二人だけのファンミーティングのようなものに発展。その後、なんとメイさんもハマってしまったとかで公園で3人は盛り上がるようになる。
他にも、スーパーでアルバイトしている仁科(にしな)さんが元カレに粘着されているところに出くわした諭吉が、フライパンと催涙スプレーで戦おうとしたり、優芽ちゃんが見つけた捨て猫をメイさんに預けて飼い主を探してもらったり、大の猫好きのスーパーの店長に猫缶の試食をさせてもらったり、諭吉がご近所で遭遇するちょっとした事件は、思わずクスっと笑ってしまうような、面白くも温かい気持ちにさせてくれる。それもこれも、諭吉が、猫として大きすぎるが故の可愛らしさだ。
現代社会をかろうじて生きていく主人公・福澤幸来の視点だからこそ、染みわたる諭吉のありがたみ
ここまで述べた通り、このマンガの最大の魅力は、大きくてふわふわな諭吉の、スキルが高すぎることの滑稽さと、ツンデレな可愛さにある。飼い主と主従が逆転した深い絆も、数ある猫マンガの中で唯一無二の輝きを放っている。それはひとえに、さしたる特技も趣味もなく、ただ自宅と職場を往復するだけの、どこにでもいる平凡で疲弊した会社員・福澤幸来の視点で物語が進んでいくおかげだと、筆者は思っている。
もちろん、幸来ほど不器用ですぐに自宅をゴミ屋敷にしてしまうほどズボラな人間は珍しいかもしれない。だが、毎日帰宅が夜11時ともなれば、自分で自分の身の回りのことをするのもままならないのは当然であろうし、平日は毎日仕事でクタクタにになって、土日は寝るだけ、なんて、共感できる現代人は多いに違いない。幸来は、日曜日の夜には次の日から仕事に行くのが嫌すぎて「月曜が来るよぉ」とめそめそとヒステリックになるブルーマンデー症候群を発症し、諭吉に宥めてもらって寝かしつけまでしてもらっている。たかが月曜日が毎週来るぐらいで、ここまで取り乱すのは心配にはなるが、幸来が遠慮なく愚図ることができるのは、相手が諭吉という猫だからだろう。家族や恋人の前で月曜が来るぐらいで毎週泣いていたら、正直手に負えない。だが現実には、幸来みたいに、大げさに休みが終わってしまうことを嘆きたい人は多いのではないだろうか。
幸来はまた、朝出勤する時も「会社行くのやだよぉぉ働きたくないよぉぉぉ」と玄関でワンワン泣いたりするのだが、諭吉は幸来の愚痴を聞きながら涙と鼻水をティッシュでふき取り、肩や頭をポンポン撫でたりさすったりして優しく送り出してくれるのだ。こんなこと、どんなに優しい親や恋人でもやってはくれない。それをやってくれるのが諭吉という猫であり、幸来に共感すればするほど、そのありがたみが身に染みるのだ。
しかし、幸来はこれほど労働に対して忌避感があるにも関わらず、会社ではいたって普通というか、愚図っていたのが嘘のように涼し気にテキパキ仕事をする。職場に着いてしまえば意外と大丈夫、というのも社会人あるあるだろう。それどころか、こんなに労働が嫌いにも関わらず、38度の熱があっても台風が直撃していても無理して会社に行こうとして諭吉に止められるぐらい、仕事に対して義務感が染み付いている。この、必要以上に仕事に対して責任感があるのも、現代人はシンパシーを覚えやすいように思う。
そして何より、幸来を凡人たらしめているのは、特に特技や趣味もなく、結婚について具体的に何も考えていないながらも、母親に結婚を急かされるのは嫌気が差すような、将来について具体的な希望や予定があるわけでもなく、ただ毎日を目的なくその日その日のことだけ考えて生きている、場当たり的な人生にあると筆者は思う。勘違いしないでほしいのだが、そういう生き方が悪いわけでは決してない。むしろ、あんなに仕事したくないと嘆くのに、毎日ちゃんと通勤して働いているだけでも十分すぎるぐらい偉い。ただ、そんな、やりたいことも出世欲も趣味も強い結婚願望も何もないながらも、日々生活費のために働いて、疲労でいっぱいいっぱいになるという、ある意味何のために頑張っているのだろうか、と虚無感を抱きそうな幸来の生き様には、今を生きる社会人には共感するポイントがいくつもあるだろう。そんな、平々凡々たる一般人の幸来の視点だからこそ、諭吉という存在の特別感には磨きがかかるのだ。特別なものは何も持っていない、どこにでもいるその他大勢の1人たる幸来の視点に、読者はいつのまにか自分を重ね、感情移入し、同じ目線でいられるから、諭吉を物語のキャラクター以上に、愛おしく思えるのではないだろうか。それはまるで、かつて子供の頃に夢見た人も多いだろう、不甲斐ないのび太のために奮闘するドラえもんが、自分にも来てくれないかな、とつい思ってしまう願いに近い気がする。
筆者は、現代社会に疲れた人や、日々の仕事にいっぱいいっぱいの人にこそ、この「デキる猫は今日も憂鬱」を勧めたい。感情移入しやすい主人公の視点から、デキる猫・諭吉の有能ぶりと巨大が故の可愛さをたっぷり満喫してほしいのだ。そこには、現実を必死に生き抜く現代人の疲弊を解す、癒しと笑いが詰まっている。