レビュー
可愛いものを全力で愛するパワーが眩しい「君にかわいいと叫びたい」
いくつになっても、大好きなものを愛していいんだと勇気がもらえるマンガ
2024年12月25日 10:30
- 【君にかわいいと叫びたい】
- Xにて連載中
- 著者:ハッピーゼリーポンチ
ハッピーゼリーポンチ氏がX(旧Twitter)で連載している「君にかわいいと叫びたい」は、2023年11月に、その下描きを投稿すると瞬く間に10万いいねがつくほどの大反響となったマンガだ。大人になっても、大好きなものを大切にしたい、という気持ちを、認め合えることの尊さ。そんな、ある意味当たり前だが、なかなかリアルではうまくできないことを、このマンガは友情を通して教えてくれる。
愛する着せ替え人形「てぃあらちゃん」にそっくりな新入社員との出会い
主人公の桐山さえ子は、コミュニケーションが少し苦手などこにでもいる普通の会社員である。ただ、「てぃあらちゃん」という、子供が遊ぶような着せ替え人形を溺愛しているドールオタクというだけだ。とても可愛い「てぃあらちゃん」だが、大の大人が、夜な夜な服を裁縫して着せ替えたり、写真を撮ったりしてお人形遊びをしているというのは、一般的な趣味とは言えないかもしれない。桐山さんも、自分には似合わない趣味だとして、普段は隠している。
そんな中、出会いは突然やってくる。「てぃあらちゃん」にうり二つの南ことみが新入社員として入社してきたのだ。あまりのそっくりさ、あまりの可愛さに、一目見た瞬間、桐山さんは人生で初めて腰を抜かしてしまう。オフィスでは偶然となりの席になり、桐山さんは「神様って本当にいるのかもな」と大げさに感動に打ち震える。
「てぃあらちゃん」に似ている南さんのことが可愛くて、ついつい甘やかしてしまう桐山さんだが、南さんも、3人の兄がいる末っ子気質で甘え上手、二人はすぐに親しくなり、3ヶ月ほどで毎日昼休みにランチに出掛けるほどの仲になった。毎日はすごい。
そして、たまたま休日に、桐山さんがスイーツミニチュアコレクションというラブリーなミニチュアのガチャガチャをまわしているところを南さんに目撃されたことがきっかけで、桐山さんは恐る恐るドール趣味を打ち明けることになるのである。
可愛い着せ替え人形を愛し、可愛い服を作ったり小物を集めたりする、そんなキュートな趣味を、桐山さんは「変じゃない?イメージと違うというか、似合わないでしょ」とついネガティブな言葉で卑下してしまう。そこで、南さんは、おしゃれがしたくてもさせてもらえなかった実家での暮らしを振り返り、桐山さんにこう伝えるのだ。「好きなものは毎日を楽しくしてくれる味方なんです!だから変とか似合わないとかナシですよ!」
なんてストレートで愛に溢れたポジティブな言葉なんだろうか。自分の好きなことに、世間の目を気にして自信を持てない大人たちを励ましてくれる、特大のエールだ。この言葉をきっかけに、桐山さんも、南さんに「てぃあらちゃん」のことをどんどん打ち明けていくのだが、読んでいるこちらも自己肯定感をあげてもらえる感じがするほど、その過程が尊く感じるのだ。
子供の頃に消化できなかった、「大事な物を大切にしたい」という気持ち
そもそも、南さんと桐山さんには、多感な10代の頃に、家族との関係で、自分の好きな物や大事な物を、大事にできなかった、させてもらえなかったという、共通体験がある。南さんは、実家が柔道の道場で、小さい頃から毎日練習ばかりさせられており、本当はおしゃれも楽しみたかったのに、父親がそれを許さなかったのである。髪はいつも黒のショートヘア、スカートは制服以外持たせてもらえない環境に我慢できず、東京の大学を受験して上京、それからは化粧をして好きな服を買っておしゃれを楽しむようになったのである。
桐山さんも、中学生の時に、小さい頃に買ってもらった人形の服を作って遊んでいた頃があったのだが、典型的な教育ママである母親はいい顔をせず、そんなことに時間を使わずに勉強しなさいと、ある日突然、人形も手作りの服も勝手に全部捨ててしまったのである。桐山さんは、親の言うことをよく聞く、所謂いい子だったので、ショックで一人で泣いたものの、怒りや悲しみを母親にぶつけることなく、その傷をずっと心に溜め込んで大人になったのだ。
二人は、大人になった今も、10代の頃に、大事なものを大事にできなかった経験が深く傷として残っている。だからこそ、その傷を癒すかのように、大人になった今、好きなことに全力で、自分にとって本当に大事な物を、大切にしているのだ。
互いの「好きな物」を尊重し合える友情って、こんなにも素晴らしくて、元気がもらえるものなんだ!
だが、「君にかわいいと叫びたい」が面白いのは、子供の頃にできなかったことをリベンジする、ただの趣味礼賛マンガだからだけではないと筆者は思う。桐山さんが、「自分には似合わない」と思いながらも楽しんでいるドール趣味を、南さんも、桐山さんの趣味仲間も、誰も否定せず、ポジティブな言葉で互いに褒めたり、認め合ったりする姿が、とにかく眩しいのだ。
少し変わった趣味を持っている人なら分かってもらえると思うのだが、悲しいことに、自分が大事にしているもの、趣味として愛しているものを、わざわざ否定してくる人というのは、意外と多い。「変わってる」とか「陰気臭い」とか「子供っぽい」とか。そんな、自分に対して益することのない人の言うことなんて、本当は気にしなくていいのだろうが、心の傷は、案外深いもの。だから、桐山さんみたいに、自分の趣味を人に隠しがちだ。本当は何より大切で、堂々としてもいいものなのに。
それを、このマンガは「大丈夫だよ!」と背中を押してくれるのだ。桐山さんが仲良くしている、ドールオタクの友人達も、球体関節人形と、ファッションドールという、「てぃあらちゃん」とは違う種類のドールの愛好家達だが、一緒に集まって写真を撮りながら、それぞれのドールを全力で褒め合うのは、読んでいて気持ちがいいし、自分が好きなものを仲間に褒めてもらえるというのは、とても嬉しいことなのだな、と実感できる。
そしてそれ以上に、ドールなどに一切興味のなかった南さんが、自分が好きな人形に似ていると桐山さんに伝えられて、全く気味悪がらないどころか、それを喜び、一緒にてぃあらちゃんを大切にしてくれる、全肯定の姿が、とても眩しいのだ。
南さんの友人も心配しているのだが、普通に考えて、入社3ヶ月の後輩に、先輩が「自分が大事にしている人形に似ている」などと言ってきたら、軽くホラーではある。いくらその人形が可愛くても、「人形に似ている」は、不気味さすらある言葉である。だが、明るくて元気いっぱいの南さんは気持ち悪がるどころか、「私こんなに可愛いですか!?」と素直に喜ぶのだ。その純然たる眩しさ、桐山さんがルーベンスの絵と見まがうのも頷ける輝きである。
ひょんなことから休日に桐山さんの自宅に遊びに来た南さんに「てぃあらちゃん」を持ってもらい、写真を撮ることにした桐山さんは、可愛いが大渋滞する画面に感動して本当に泣いてしまう。その理由が「私の人生がすごく肯定されてる感じがして…」なのが、まさにオタク的な思考であるのだが、それだけ、このドール趣味に自己実現が詰まっている証拠でもある。桐山さんは感極まって「可愛すぎて私が地球だったら地軸がずれそう!」とか「可愛さの飽和に眼球が耐えられなくなってきた」とかキレキレのワードセンスで南さんを褒めまくる。
おしゃれが大好きな南さんは、そんな風に褒められるのが嬉しくてつい「もっと可愛いって言ってください!!私可愛いって言われるの大好きです!!」と叫んでしまう。そして桐山さんも興奮して「私も可愛いって言うの大好き!!」と返すのだ。この二人の魂の叫びこそが、このマンガのタイトル「君にかわいいと叫びたい」になっている、印象的なシーンだ。
人形遊びがしたいとか、おしゃれを楽しみたいとか、たかが一個人の趣味に過ぎないのかもしれないが、それでもその一人一人にとっては、日々を生きていくための大きな糧になっている。自信がなかったり、周囲の目が気になったりして、自分の大事なものを堂々と大事だと主張することすら、大人が生きる社会では難しいのかもしれない。それでも、大好きだからこそ、血管が切れそうになるぐらい、全力で「好き!」「可愛い!」と声高に叫んだっていいのだ。
自分が大切にしているものを、大切に思ってくれる、認めてくれる人の存在がこんなにも素晴らしいものなのだということを、このマンガは教えてくれる。是非「君にかわいいと叫びたい」を読んで、その爽やかで多幸感にあふれた、ただただハッピーが詰まった二人の友情ストーリーに、清々しい元気をもらってほしいと思う。