レビュー
その速さは、すべてを変えてしまう。「ひゃくえむ。」レビュー
トガシと小宮、100m走が人生を変える2人の男の物語
2024年10月7日 00:00
- 【ひゃくえむ。】
- 掲載:マガジンポケット(2018年10月から2019年7月まで連載)
- 著者:魚豊氏
"走る"という行動は最も才能がわかりやすいものの1つだろう。特に小学生において、足が速いというのはそれだけでヒーローだ。小学生は社会が狭く、自分の才能を実感できる場も少ない。その中での足の速さというのは、絶対的な価値観だ。筆者も運動会で圧倒的な足の速さを見せつけた級友の姿をいまだに覚えている。
「ひゃくえむ。」は、魚豊氏が講談社のマンガアプリ「マガジンポケット」にて2018年10月から2019年7月まで連載していた漫画だ。魚豊氏のデビュー作で、全5巻のコミックスとなっている。上下2巻の新装版も販売されている。
本作の主人公は生まれたときから足が速い男の子・トガシ。彼は足の速さにおいて並ぶものなし、全国1位の記録を持っていた。そんな彼が小学生の時、転校生の小宮と出会うことで、物語は動き出す。
「ひゃくえむ。」は"100m走"をメインテーマとして扱っている。100m、その距離で誰よりも早ければすべての問題が解決するとトガシは思っているし、実際彼はそうだった。小学生でも、中学生でも彼はヒーローであり、足が速いことで一目置かれてきた。しかし彼は徐々に自分の才能の"劣化"を感じ始めていた……。トガシがどのように成長していくのか、ここが注目ポイントだが、同時に小宮という、トガシとは全く別の“情念”を持つキャラクターにもスポットが当てられていくのだ。
魚豊氏はこの「ひゃくえむ。」の後、「チ。-地球の運動について-」を生み出す。「チ。-地球の運動について-」は世界を変えうる"秘密"において、多くの人の生死が描かれる。秘密を受け継ぐこと、抹殺しようとする人々が生み出す緊張感のあるドラマは多くの人を魅了し、注目を集めた。
「ひゃくえむ。」は「チ。」の前に魚豊氏が手がけた商業誌デビュー作である。“連載”という初めての形式に強い気合いで望んだ魚豊氏の息苦しくなるような緊張感と、作者自身が悩みながら物語を紡いでいくその苦闘が強く伝わってくる物語だ。「ひゃくえむ。」があったからこそ、「チ。」の独特の物語展開が実現したと言えるだろう。「チ。」の前に、ぜひ「ひゃくえむ。」を読んで欲しい。
序盤で一気に惹き込まれる、速く走る事への憧れ
ここからはまず「ひゃくえむ。」の序盤を紹介していきたい。生まれたときから足の速い小学生トガシは順調な人生を送っていた。生まれたときから足が速く、全国一位、それだけで皆から賞賛されていた。そんな彼の前に転校生として小宮が現われる。小宮は引っ込み思案な性格で根暗だった。転校生の彼は早速いじめのターゲットにされてしまう。
トガシが帰り道を歩いていると、全速力で走ってきた小宮が目の前で倒れる。小宮は酸欠になって倒れるまでがむしゃらに走っていたのだ。何でそんなことをしているのかとトガシが問うと、小宮は「現実より辛いことをすると、現実がぼやける」と答える。このむちゃくちゃな走りは、現実からの逃避だと彼は言うのだ。
「もったいなくない?」と思わずトガシは言ってしまう。「ただ走るだけじゃ何も解決しないけど、速ければ違う。大抵の問題は100mだけ誰よりも速ければ、全部解決する。他人との差が2~3秒あったら、難しいことは全部吹っ飛ぶ。だって、俺、そうだし」。トガシは小宮の走りのフォームの改善を指導するようになる。小宮は、めきめきと速くなっていく。
運動会の100m走で、小宮はいじめっ子を抜き去り、1位となって金メダルをもらう。その変化は劇的だった。小宮はクラスに受けいられる一方で、いじめっ子はクラスから疎外される。小宮はすっかり陸上オタクになるが、ある日トガシは言う。「大丈夫だ、完成した。もう教えられることはなくなった」。一瞬喜んだ小宮だがそこで我に返り「これが限界ってこと?」と問う。「そうだ」と答えるトガシだが、小宮は「まあいいか、何かに執着して追い詰めて辛くなるような走り方はもったいなさ過ぎる」とあっさりそのことを受け入れるのだ。
しかし、それで終わらなかった。小宮が尊敬する中学生陸上の有名選手・仁神(にかみ)が職業体験で2人の小学校を訪れるのだ。小宮は仁神にファンとして接し、走りの知識を披露する。「大会とかには出ないのかい?」と仁神が問うと、小宮は自分は大会に出るような走り方はしないつもりだという。あくまで趣味だと。そんな小宮に仁神はいう。
「1位をとったらもう楽しいだけに戻れない。その金メダルが君にささやく。『本当に充分なのか』と。『メダルの重さを決めるのは大会規模じゃない、今後のお前だ』と。ようするにやりたいことをやれってことさ」。しかし、その言葉の重さに、仁神自身がすぐに直面することになるのだ。
仁神の職業体験最終日、この日はクラス全員が仁神に100m走を見てもらうことになっていた。クラスの注目は「仁神がトガシの走りをどう評価するか」だった。仁神はトガシの走りを見て、「君、自分が思っているより50倍才能があるぞ」という。
そして次、小宮の走りに仁神は戦慄し、思わず口走ってしまう。「君は走るのをやめた方がいい。フォームもぐちゃぐちゃ、しかし速い。その走り方は全力過ぎて、もはや怖い。感情だけで走れる奴にブレーキはない、破滅するまで走り続ける」。仁神にそう言わせる走りを小宮はしたのだ。
帰り道、小宮はトガシに話しかける。「最近、陸上の勉強や練習を1人で始めたんだ。まだ全然つかめないけど、確実に速くなってる。そして速くなるほどわかってきたことがある。『君には勝てない』。でも同時に不思議なことが起こってる、僕にも予想外な事態なんだけど、何故か、納得してない」そう話し、真っ直ぐにトガシを見つめる。
トガシは小宮に問う。「小宮くん、競争(や)る気か?」、小宮は応える「うん、もちろん真剣(ガチ)で」。
……マガポケ版は、ここまでが無料の3話なのだ。この2人の本当の始まりを迎えるこの3話で読者は一気にこの世界に惹き込まれるだろう。筆者はこの3話を読んだ後、その勢いのままコミックスを全巻購入した。ぜひマガポケでこの3話を読んで欲しい。
多くの人が捨ててしまった頂点への憧れを思い出させてくれる作品
もちろん、前章での内容は「ひゃくえむ。」の序盤に過ぎない。ここからトガシと小宮は"100m"という10秒少しの時間で繰り広げられる戦いの価値、そして意味に向き合い、大人になっていく。
「ひゃくえむ。」を読んで自分の中で生まれるのは、"これまでの生き方への想い"だ。筆者を含めた多くの人間は「人生でより重要なものは何か?」を考え、取捨選択を繰り返していく。小学生、中学生、高校、大学、そして大人、自分が関わる世界が大きくなっていく中で直面するのは、自分が好きなこと、得意と思っていたことに、「よりすごい能力を持った人がいる」という事実だ。足はそれほど速くなく、勉強はできず、知識も深まらず、得意なこと、好きなことに傾倒しても、その先には常に「自分よりスゴイ人」がいる。トップを走る人の気持ちも、その世界も多くの人にとって未知の世界だ。
もちろんそういう選ばれたトップの戦いを私たちは見ることができる。第一線で走る人達の姿は注目が集まる。TVではアスリート達が日本一に留まらず世界一を競っているし、マンガや映画、ゲームで優れた才能を持つ人が生み出す作品に触れることもできる。だからこそ憧れるわけだが、実際に彼等の真似はとてもできない。
一方、トップ集団にいる人達の生きる世界とはどんなものかを漫画や映画、アニメは見せてくれる。超人的な才能を持つ人も人間であり、人生がある。創作においてトップを走る人間を描くというのも挑戦しがいのあるテーマだ。「ひゃくえむ。」もそういった作品の1つと言える。
“走る”というのは共感しやすい、わかりやすい題材だ。自分の体が最大効率で動き、その成果が“他人を抜く、トップに出る“というはっきりした形で示される。トガシが走っているときに聞く音や、足の運び方と距離の冷静な分析、初めて全力疾走をしなければいけない状況になったときの戸惑い……。そして、他人から優れた人間であると言われることへの気持ち。足が速い、才能に優れた人間が見ている景色を、読むことできちんと共感できるのは魚豊氏の優れた筆力あってのものだろう。
しかしそれだけでない。トガシは才能を持っている人間だからこそ失う事への恐怖を常に抱えているし、トップを走り続けてきたからこその“欠落しているもの”がある。そして「才能がない」といわれながらも、自分のすべてを走りに注ぎ込んできた小宮がトガシに迫る。対照的な2人だが、彼等は実は「何のために走るのか」という答えを持っていない。「そこに本当に答えなんてあるのか?」 というのは「ひゃくえむ。」の大きなテーマである。戦うトガシと小宮がその答えを得られるのか? その疑問は「ひゃくえむ。」を読み進める原動力だ。
そして、作者の魚豊氏はかなりマンガに情念を持っている人だ、ということを作品を通じて誰もが強く感じるだろう。マンガ、それも王道のマンガに憧れ、しかし王道的面白さとは少し違った魅力を放つ作品を描く自分と向き合い、自分が描けるマンガとは、面白さとは何かを地面に爪を立ててもがいて探し求めているような、そういう創作姿勢が作品から強く感じられる。
「ひゃくえむ。」には彼のプロデビューのきっかけとなった週刊少年マガジン第98回新人漫画賞入選作である「佳作」が収録されている。このタイトルで新人漫画賞に応募するか? というところからも魚豊氏ならではの感性を感じるが、このマンガは「ひゃくえむ。」以上に魚豊氏の創作の姿勢の一面を煮詰めたような作品となっている。
「佳作」で最初に描かれるのは、何でもそこそこできるけど、夢中になるものがないことで悩む高校生・昴である。彼は同級生・葉月みのりの誘いでテニスをやってみることになる。ラケットを握るのも初めて、コートに立つのも初めて、そんな彼だが、ベテランプレーヤー・村岡と対決していく中でめきめきと才能を開花させ、テニスの面白さに目覚めていく。
で、その素人にたたきのめされるベテランプレーヤー・村岡がこのマンガの主人公なのだ。彼はひたすらテニスだけをやってきた。主役にはなれないかもしれない彼がやっと見つけたテニスという得意競技、それすら目の前の素人、主人公のオーラをまとった昴に粉々にされようとする。「佳作」は自分の運命を呪い、昴の才能に絶望しながら戦う村岡の物語だ。「主人公の才能の前に踏み台にされる序盤のザコ」というスポーツマンガの王道展開を逆手にとった作品なのである。
「ひゃくえむ。」は、スポーツの世界への憧れと怖さを強く感じさせる作品だ。そこには「佳作」から続く魚豊氏の王道やトップ、そして「物語」への愛憎入り交じる憧れを感じさせる。ドロドロとした暗い感情があるからこそ憧れる、爽やかさ、華やかさへの強い想いがある。
多くの人は“頂点”にはたどり着けない。しかしたどり着けないからこそ頂点に立つ人、頂点へ向かう人に、憧れだけでない、暗い部分も含んだ複雑な感情を抱くのは、筆者だけではないだろう。「ひゃくえむ。」は、そして魚豊氏の作品はそうした自分のドロドロとした感情や記憶を呼び覚ましてくれる。そしてその先に純粋だった憧れを思い出させ、何かのエネルギーがもらえる。ぜひ「ひゃくえむ。」を読んで欲しい。
ちなみに「ひゃくえむ。」は、2025年に劇場長編アニメーションとして制作が決定されている。マンガならではの表現がどう映像化されるのか、こちらも期待したいところだ。