レビュー

マンガレビュー「隣のお姉さんが好き」

「映画を見るお姉さんはカッコイイ!」、丁寧な心理描写が楽しいラブコメ

【隣のお姉さんが好き】

全4巻

 秋田書店のコミック配信サイト「マンガクロス」にて2021年より2023年にかけて連載された藤近小梅氏のラブコメ「隣のお姉さんが好き(秋田書店)」をレビューとして今回掘り下げていく。藤近小梅氏はアニメ化もされた「好きな子がめがねを忘れた(好きめが)」でファンを増やした作家で、筆者も「好きめが」で藤近氏のファンとなり、「マンガクロス」にて連載が始まった「隣のお姉さんが好き」を読み始めた。

 藤近氏の作品の魅力は非常に繊細で丁寧な心の描写にあると思う。すれ違いや葛藤、熱情と自制心、恥ずかしさと好きという気持ち、多くの想いを抱えながら、時には失敗し、そして成長していく。大きな盛り上がりや、派手な展開はないが、2人の主人公の行く末にドキドキしてしまう。「隣のお姉さんが好き」は失敗と葛藤を続けながら距離を詰める「たーくん」と「心愛(しあ)さん」を見守る楽しさを感じさせるラブコメである。

 「隣のお姉さんが好き」は全4巻。物語は完結しており、読者はしっかりと2人の恋の行く末を確認することができる。藤近氏自身も悩みながら、愛を持って2人の交流を描いていることがとてもよく伝わってくる。「隣のお姉さん」という、ちょっとだけエッチな妄想もはかどるタイトルも良い。本稿では本作の魅力を語っていきたい。

コミックスは全4巻、物語は完結しており、しっかりと2人の恋の行く末を見届けることができる

繊細な表情表現、お互いを知る細かいエピソード、丁寧に描かれる「心のつながり」

 物語の主人公は中学2年生、バスケに命を燃やし、NBA選手を目指す「次原佑(たすく)以下、たーくん」と、高校2年生、アメリカ人の父を持つ「星野心愛(しあ)以下、心愛さん」だ。

 次原家と星野家はお隣同士。一緒に焼き肉屋に行ったり、買い物をしたり、お互いの家でご飯を食べたりと交流は頻繁。たーくんは末っ子で、兄と姉がいる。心愛さんはたーくんの姉の雫(しずく)と同い年でたーくんにとって心愛さんは家族同然の女性だった。

 しかし、ふとした偶然で一緒に映画を見たとき、映画を見る心愛さんにたーくんは一瞬で恋に落ちた。映画の世界に引き込まれている心愛さんは、たーくんが今まで意識したこともない、「自分が全く知らない世界を知っている大人の女性」の姿だったのだ。心愛さんに自分の好きを伝えたい。たーくんは必死に考え「映画の面白さを教えて欲しい」と、毎週水曜日、心愛さんの部屋で一緒に映画を見る約束を取り付けるのだ。

たーくんを迎え入れる心愛さん。たーくんが映画を知り、心愛さんを知っていく物語が始まる。なお、画像は「隣のお姉さんが好き」公式Xのもの

 映画が好きというのはたーくんが考えた「方便」だ。しかし根が真面目なたーくんは映画も好きになろうとする。しかし映画マニアの心愛さんが提案する映画はバスケ一色だったたーくんには難しい。映画を見ながらたーくんは心愛さんに「好きです」と伝えるが、心愛さんは「この映画? 良かった、気に入ってもらえて~」と答える。それははぐらかされているのか、勘違いしているのか、たーくんにはわからない。

 物語はたーくんの目線で展開していく。たーくんにとって心愛さんは謎めいて、知的で、奥深い、「知らない世界の女(ひと)」だ。たーくんはその後何度も好意を伝えるが、「私はやめとけ」とはぐらかされてしまう。何で自分の「好きです」が心愛さんに伝わらないのか、難しい映画がわかる心愛さんが、何でたーくんシンプルな"好き"をわかってくれないのか、たーくんは悩む。

絵柄としてはシンプルで、ディフォルメも強いが、キャラクターの細かい表情描写と、コマ割りの"間"を大事にしていて、非常に丁寧にキャラクターの気持ちや、葛藤、ためらい、想いを想像させる

 悩みながらもたーくんは心愛さんと映画を見ていく。心愛さんを意識するようになってから、たーくんは心愛さんを知っていく。心愛さんの夢は映画の脚本家になること。たーくんの兄の紡(つむぐ)とは自分が全く参加できない深い映画の話もするし、どうやらコンテストに応募する脚本も見せているらしい。それならば自分も脚本を読ませて欲しい! とたーくんはまっすぐ頼み込むが、やんわりと断られる。映画も心愛さんもわからない、わからないまま、それでも理解しようとたーくんは頑張る。

 たーくんはいつも真っ直ぐだ。頭を下げるときは90度に腰を曲げてお辞儀、声は大きい、何度も好きですと伝えるし、話に聞いた「壁ドン」だってしちゃう。徐々に彼は成長していく。マーベル・スタジオのヒーロー映画シリーズ「MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)」をきっかけに自分も好きな映画がわかるようになった。アニメ映画で感想を話すこともできるようになった。たーくんは徐々に成長していく。そして元の自分がいかに無遠慮だったかを自覚するようになる。

 心愛さんのこともわかるようになった。心愛さんは結構ドジでおっちょこちょい、スタイルが良く金髪で美人なのに、ひょっとしたら友達がいないんじゃないかと思うくらい人付き合いもうまくない。照れ屋で自分のことを語りたがらない。そして"逃げ癖"がある。答えに詰まる質問や、自分でも説明しにくい感情的なことがあると、すぐ逃げてしまう。お姉さんだが、ちょっとコミュ障だ。たーくんに対して失礼なことをして、そのことをちゃんと自覚すると思わず泣いてしまったりする。

 心愛さんは"ヒロイン"ではなく、もう1人の主人公だ。たーくんが成長していくように、頭でっかちで物語の世界のみに目を向けていたところがあった心愛さんは、たーくんとの関係の中で人とのつながりや、自分の心の機微、人の感情の動きを知っていく。心愛さんが好きな映画のジャンルであり、彼女が書きたいのはヒューマンドラマ。たーくんとの関係は彼女に大きな経験値を与えていく。

表情表現は本作の大きな魅力だ。キャラクターが何を考えているのか探りたくなる。それはたーくんの「心愛さんを知りたい」という物語のベクトルをさらに強めてくれる

 「隣のお姉さんが好き」は、多くのラブコメがそうであるように、2人の男女としての具体的な関係は進展しないが、様々な事柄が2人のつながりを強めていく。お互いがお互いを知り、人との関係や、つながりを問いかけ、散々迷って失敗を重ねながら進んでいく。展開としては非常にスローで、だからこそ丁寧な描写が良いのだ。

たーくんはこれまで映画や物語などに縁のないバスケ一筋のスポーツ少年だ。だからこそ心愛さんに憧れを感じるのだが、時には心愛さんの心の地雷を踏んでしまうことも

大ゴマがクライマックス、心愛さんはどんな人なのか、思わず見つめるその演出

 「隣のお姉さんが好き」では意図的に大ゴマが使われている。藤近氏の画風はどちらかといえばデフォルメ色が強く、キャラクターのアップも多いシンプルなコマが多いのだが、だからこそ1ページをまるまる使った大ゴマが映える。

 この大ゴマでは心愛さんが背景も含め大きく描かれる。それは、たーくんが見る心愛さんだ。映画を静かに見て、画面に集中している心愛さん。「心愛さんはカッコイイ」というたーくんの言葉に「ふうん」と返す心愛さん。彼女が何を考えているのか、どんな人間か知りたくなる。現実ではまじまじと見つめることはできない一瞬を、丁寧に書く。それはたーくんが「心愛さんを知りたい」という気持ちそのままで、読者もまた心愛さんのことを知りたくなって、大ゴマに注視してしまう。

映画の世界に引き込まれる心愛さん。たーくんが全くわからない映画の世界にのめり込む心愛さんの姿に「あこがれ」を感じるのがすごく共感できる。マンガでは大ゴマを使って、共感を強くさせる演出を効果的に使用している
どんどん心愛さんに近づこうとするたーくんと、反射的に逃げてしまう心愛さん。大ゴマで描かれている心愛さんを、たーくんと同じように見つめてしまう。心愛さんのことを知りたくなってしまう

 たーくんが「MCUにはまった」といった瞬間の心愛さんの振り返った表情。本当に驚いていて、嬉しそうで、「私はやめとけ」と遠ざけようとしていたそれまでの自分をすっかり忘れてしまう。その興奮を大ゴマで表現し、そしてそこから「たー君が映画を好きになるのはそういう方法があったのか!」という驚きとうれしさのあまり、早口でMCUの面白さを語り、満面の笑顔を見せる。その直前までのちょっと気まずくなった2人の関係もどこへやら、たーくんに好きな映画が見つかって本当に嬉しいというのがわかるその描写。素直なで真っ直ぐなたーくんはもちろん、心愛さんもとても素直で明るく、お人好しなのもわかる。

 大ゴマ(1ページをすべて使ったコマ)は連載での毎話のクライマックスだ。格闘マンガなら決着が決まる必殺技の瞬間、推理マンガなら犯人が明らかになるその一瞬、恋愛マンガなら恋人同士が抱きついたり、キスをするシーンかもしれない。しかし「隣のお姉さんが好き」では、「心愛さんの表情の丁寧な描写」なのだ。地味だし、エキセントリックな展開はないが、しっかり心に刻まれる。この独特な演出は様々な作品を描いてきた藤近氏が本作で意図的に行なっている"マンガの実験"であり、その手法とセンスが心に響くのである。

自分の知らない世界を共有する心愛さんと兄の紡。たーくんが感じる疎外感をうまく表現した構図
意地悪な心愛さん、どうしてこんな態度をとるのか。人と人の関係にはこう言う瞬間もある
たーくんの思いは心愛さんにも強い影響を与えていく

 本来、現実の恋愛は限りなく一方通行だ。誰でも相手の本当の心はわからない。もちろん相手の心を掴まなければ仲は進展しないし、こちらを想ってくれる可能性がなければ成功しないが、それでも本当の本当は、"他人"であるからわからない。その違いを飲み込みつつ相手のことを想い、ほかの人とは違うやりとりを重ねるから特別な人になれる。

 一方で創作物である"物語"はつながりを強くしていく2人を1人の作者が組み立てることができる。そして読者は2人がおずおずと相手に手を伸ばし、やがてしっかり繋がっていく様を見守ることができる。2人がどう考え、つながって行くかをきちんと"把握"できる。恋愛物語の醍醐味はここにあり、主人公カップルを応援する楽しさがある。

 たーくんと心愛さんの2人を中心に進行していく「隣のお姉さんが好き」だが、魅力的なキャラクターも登場する。次原家の長男・紡は危なっかしい2人を応援してくれるし、たーくんの友達の望月と土端、心愛さんの友達のうららと梨奈も面白いキャラクターだ。

 もう1つ、本作は「映画」がたくさん出てくるのが良い。「グリーンブック」、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」、「ラ・ラ・ランド」、「アルマゲドン」、「アイアンマン」、「シャイニング」、「キャビン」……。見た映画は共感できるし、知らない映画に興味がわく。映画が好きな人にも是非読んでもらいたい作品である。

家族に対して心配性ぎみの兄・紡。たーくんと心愛さんの恋を応援している
面白い心愛さんの友達

 たーくんはバスケがすごくうまく、勉強もできる。心愛さんもスタイルが良くて美人と2人とも実はかなりのハイスペックで、冷静に見ればオタクな学生時代を過ごした筆者にとっては"遠い人達"でもあるが、2人の葛藤や悩み、願いや想いは大いに共感できる。自分が学生だったとき、何もわからないまま一生懸命で、色々無駄な葛藤を繰り返していたことも思い出す。あの頃もう少しこういう恋愛ものを読んでたら、もっと明るい学生生活が送れてたんだろうか……。ちょっと切なくなるところもあるマンガである。

 「隣のお姉さんが好き」は人の関係と心に注視する藤近小梅氏ならではの繊細で丁寧な心の葛藤を描くラブコメだ。ノリとしては軽く、笑えるギャグ満載、それでいながら考えさせられたり、自分の人生を振り返らせられる。ちょっと薄味に感じるかもしれないが、かみしめることでしっかりと味を感じられる。軽い気持ちで手に取って、どっぷり2人の関係にハマって欲しい。