レビュー

終活コメディ!?「ひとりでしにたい」

ひとりで生きて、ひとりで死ぬためのギャグマンガ

【ひとりでしにたい】
コミックDAYSにて連載中
著者:カレー沢薫 原案協力:ドネリー美咲

 2021年文化庁メディア芸術祭でマンガ部門の優秀賞を受賞した「ひとりでしにたい」は、東京に住む35歳独身一人暮らしの女性が終活をするギャグマンガである。主人公は、憧れだったキャリアウーマンの伯母が孤独死したことをきっかけに終活に目覚める。

 とはいえ、人はいつ死を迎えるのか、普通ははっきりわからないわけで、終活は一筋縄ではいかない。本作は、よく生きてよく死ぬためのヒントが、行政手続き的なことも含めて、散りばめられている、令和を生きる現代人必見のマンガである。

コミックDAYS「ひとりでしにたい」第1巻試し読み

婚活ではなく、終活に目覚めるきっかけ

【憧れの伯母が孤独死】

誰にも看取られず、発見も遅れて無残な最期に

 終活という言葉を見聞きするようになって15年ぐらいだが、人間は必ず死を迎えるわけで、超高齢化社会の日本では、関心の高い話題であり続けている。本作を原作に、6月21日からNHKでドラマが放送されるが、主人公に綾瀬はるか、母親役に松坂慶子、脚本に大河ドラマなどでも活躍する大森美香を起用する力の入れぶりで、本作は今、非常にキャッチ―なマンガなのだ。

 主人公の山口鳴海は、正規雇用で働く35歳独身女性で、都内のマンションで一人暮らしをしている。結婚には興味がなく、男性アイドルの応援が趣味で、猫を飼っている、いまどき珍しくもない人物である。そんな彼女が、35歳の若さで終活に興味を持ったのは、伯母が自宅の風呂で孤独死したことがきっかけである。

 伯母は、鳴海の父の姉で、70歳ぐらいで亡くなったわけだが、生前は大手企業の管理職まで昇りつめたバリバリのキャリアウーマンであった。自宅は分譲マンション、生涯未婚で子供は持たず、一人暮らしで入浴中にそのまま亡くなってしまった。鳴海は、子供の頃は、専業主婦の母と違っていつも小綺麗でしゃかりきに働いている伯母を尊敬していた。

 だからこそ、誰かに看取られることなく一人で死に、そして死後しばらくしてから発見された孤独死という最期に衝撃を受けた。しかも、浴槽で亡くなって日数が経っていたため、ご遺体もドロドロ液体化し、無残な姿になっていたというのだ。鳴海の両親はその後片付けや事後処理で手間と苦労と、それなりの額の金銭を負担した。既に疎遠になっていた伯母の死に対して、両親は迷惑を被ったと感じており、そのことも鳴海にはショックだった。

 実は、現時点で鳴海も伯母と同じような人生を歩んでいる。独身で子供はなく、弟は結婚して子供が1人いる。しかも、鳴海はやはり伯母と同じく、都内のマンションを自分でローンを組んで購入しているのだ。このままでは、伯母と同じように自分もいつか孤独死して、弟夫婦や甥に迷惑をかけてしまうかもしれない。そんな死に方は嫌だ、と恐怖を感じて、そうならないために何かしなくては、と思うのだ。

 そこでまず初めに鳴海が何をしたかというと、婚活、である。というのも、典型的な昭和の男である父親が伯母について、「結婚もせず、子供も産まないで一人で好き勝手やってたから、最期に罰が当たった」と言ったからである。あんな死に方はしたくない、と思った鳴海が安直に婚活に走るのも、仕方ないかもしれない。だが、そこに待ったをかける人物が現れる。これまでほとんど話したことがない同僚で、年下のエリート男性、那須田だ。

【愛情表現が歪んでいる那須田の登場】

人生設計の知識はあるが、対人スキルに難ありの年下エリート

 鳴海の職場は美術館で、鳴海は学芸員であり、那須田は24歳、官庁から出向中のエリート公務員である。純粋な恋愛感情というわけではないのだが、那須田は鳴海に対して好意を抱いており、職場で大声で自分の身の上話をする鳴海に、誰もいないタイミングを見計らって突然話しかけてきたのだ。意中の相手が婚活を始めたら、我こそは、と名乗り出るのは当然だろう。

 だが、那須田はあろうことか、「令和になったっていうのに、結婚すれば将来安心なんて発想が昭和過ぎるでしょ」と鳴海を煽ってきたのである。挙句「何も考えてこなかったから、そういう発想になるんですよね」と追い打ちまでかけてしまう。鳴海は「だったらひとりで生きて、ひとりで死にたい」と硬く決意してしまうので、完全に逆効果。だが、那須田自身は鳴海に「これで自分に興味を持ってもらえるだろう」と思っているので、怖いぐらい感覚がズレている。

 そもそも、鳴海は婚活を始めたと言っても、婚活アプリに登録したぐらいで、本格的に活動していたわけではない。本当に結婚したかったのかどうかというと疑問が残る。実際、学生から社会人にかけて、付き合っていた恋人がいたが、「他人とわざわざ家族になって、自分の時間とお金を取られるのが惜しい」という理由で別れている。要は、結婚自体が嫌だったのだ。そんな鳴海が、「ひとりで生きて、ひとりで死にたい」と強く思うようになるのは、時間の問題だったかもしれない。

【老後の住居問題】

特別養護老人ホームや介護療養型医療施設など、施設の種類も勉強になる

 かくして、那須田という、ちょっと訳ありの人物が、鳴海と仲良くなりたいという動機で、鳴海の終活に付き合うことで物語は展開していく。嫌味っぽくて、肉親との関係に問題があったらしい那須田だが、厳しい生い立ちのせいで、福祉行政や投資などのお金のことなどにも詳しい。今更聞けない檀家制度や、iDeCo、生活保護に老人ホームの種類など、人生において大事なことだが調べるには難しすぎることも分かりやすく軽いノリで説明してくれるので、本作は、読者としてとても役立つマンガとなっている。

ひとりで生きて死ぬために大事なこと

【伯母の墓参り】

孤独死に興味があるから、と鳴海についてくる那須田

 終活に舵を切った鳴海は、まず、伯母がどうして孤独死に至ったのかを調べることにする。入浴中に死んでしまったのは、一人暮らしのため、異変に気付く者が家にいなかったからだ。だが、死後日数が経ってしまったのは、それだけ、人との交流が少なかったからである。鳴海の両親である弟夫婦の家は近かったが、5年ほどずっと会っていなかったのだ。

 何故そこまで疎遠だったのか。鳴海が子供だった頃は、伯母はよく家に手土産を持って遊びに来ていて、鳴海はかっこいい伯母に憧れ、懐いていた。だが、定年を迎える頃には、伯母は卑屈になってしまい、「私には何もないから」「あとは死ぬだけ」と愚痴ばかりこぼすようになったのである。鳴海はそれをうざったく思い、伯母を避けるようになった。加えて、鳴海の母・雅子が、これ見よがしに孫のことを自慢し、未婚子なしの伯母をバカにするので、家に全く寄り付かなくなってしまったのだ。

【親戚との確執】

やられたらやり返すに決まっている

 これだけ聞くと、伯母が可哀想に思えるかもしれないが、実のところそうでもない。何故なら伯母が若い頃に鳴海たちの家によく遊びに来ていたのは、専業主婦の雅子にマウンティングするためだったからだ。

 まだ幼かった鳴海と、弟の聡を育てていた頃の雅子は、夫が猛烈会社員なこともあって、日々忙しく、自分の身なりを構う暇などなかった。やつれて白髪すらあるほどだったが、そんな雅子を、伯母は見下し、「美容室紹介しましょうか?でも専業主婦だから美容室行くのにも旦那の許可がいるから面倒よね?パートぐらい出たら?」と何かと嫌味を言いに来ていた。それが晩年、世間的な立場が逆転したので、雅子は積年の恨みを晴らすため、やり返した。因果応報なのだ。

 そんな、過去の行ないが跳ね返ってきて、周囲から孤立し、最終的に孤独死という末路を伯母は辿ったのだと理解した鳴海は、「ひとりの人こそ、人を大事にしないとダメなんだ」という結論に達する。終活に目覚めたことで鳴海は、複雑な生い立ちの那須田や、親が特別養護老人ホームに入っている同僚から、自治体の福祉行政や介護制度などについて教えてもらった。そして、それらを学んだ上で、鳴海は、家族を持たないという選択は、他人との関係だけで人生を渡り歩かなければならない、かえって対人関係重視の選択なのだと気付くのである。

ちょっと感じが悪い登場人物たちが、リアルすぎる

 雑な扱いをしても簡単に縁の切れない家族との関係は、ある意味、気楽だが、他人に雑に接すると、人間関係はすぐに崩壊する。家族を持たないということは、雑な関係でいられる人間が基本的にはいないということで、ひとりで生きて死ぬためには、かえって他人との関係性を大事にしなければならない。一匹狼ってカッコイイみたいな思考回路を持ち合わせている筆者としては、なかなかに衝撃ではあるが、本作を読むとそりゃそうか、と納得させられる教訓である。

 それは、人は既婚未婚とか関係なく、ひとりでは生きられないんだし、というありきたりなことが理由ではない。本作の登場する人物たちが、ことごとくちょっと感じの悪い人ばかりだからだ。意識的であろうが無意識であろうが、感じが悪くて嫌な人間だと、敵を作りやすいし、困った時に助けてもらえないばかりか、逆に復讐されてしまう危険性すらあるんだなということが、本作を読むとよく分かる。

【鳴海はかなり軽率だ】

言わなくていいことを言って義妹とギスギスしてしまう

 先に述べた伯母がまさに典型だが、実は主人公の鳴海も似たようなものなのだ。終活に目覚めたばかりの頃、自分が老後孤立しないように身内とは仲良くしよう、と張り切って弟の妻に急に不要な子育てアドバイスのLINEを送るのだ、「子供にフライドポテトは良くないですよ」と。子育てはナーバスな話だし、求められないアドバイスほど要らないものはなく、内容も驚くほど無神経で唐突であったため、鳴海は弟に激怒されてしまう。他にも、鳴海はこの義妹に対して、自分が大卒で、彼女が高卒だからか、薄っすら見下していたり、専業主婦のことを下に見たりする節があるのだ。これでは、唯一の身内と言ってもいい弟夫婦に、何かやり返されても不思議ではない。

 さらに、鳴海に好意を寄せている那須田は、もっと感じが悪い。最初から上から目線で鳴海に人生設計を解説するし、鳴海の職業である学芸員を「先がない仕事」をバカにする。そして鳴海の年齢が35歳であることも、婚活や転職で「需要がない」と軽く蔑む。しかも那須田はそれが、本気の時もあれば、鳴海の気を引くためにわざとやったり、その上で敢えて無視を決め込んだりするので、たちが悪いし、正直不気味ですらある。こんな対人関係の築き方では、恨みを買って足元をすくわれても、文句は言えないだろう。

【時は令和、父は昭和】

家族内介護は負担が大きい

 他にも、鳴海の父は、「介護はやっぱり娘だろ」「大した仕事はしてないんだろ」と鳴海の人生を軽視するし、妻の雅子に対しても「妻なんだから夫の世話をして当然」という態度を崩さず、定年退職後も家のことは何もしない。鳴海の弟も、自分は孫をもうけた時点で親孝行は終わったとばかりに、鳴海にだけ両親の介護を押し付けようとし、自分の妻に対しても横柄な態度を取る。その弟の妻も、自分の家庭のために、鳴海と那須田をそれぞれ呼び出して個別に会い、嘘やオーバーリアクションを混ぜて二人の関係を引っかき回す。さらには、鳴海の元恋人やその妻も、気に入らない人間にやり返すために、鳴海を試すようなことを平気でするし、誘導尋問のような問答を繰り広げるのだ。

 それぞれが、それぞれに対して恨みを買いやすい状況で、いつ後ろから刺されてもおかしくないだろうと、筆者は思う。そういう因果を、自分の言動で与えてしまっているのだ。それは、鳴海たち全員が、強烈ではなくとも、薄く偏見と軽蔑の心を持っていて、それが時に鋭く、時に無意識に表に出てしまうことが原因のように筆者は思う。それもこれも、全ては終活という、個人や家族の生活や人生、将来への不安に備えるという、センシティブなことが本作の主題だからだろう。自分のライフプランが、身内と合わなかった時、自分を守るために、人間としての素の部分が表出しやすいのかもしれない。こんな人間関係はしんどいだろうな、と筆者は思うのだが、それと同時に、現実もこんなものだよな、とも思うのだ。

【那須田は自分が親と同じことをしていると気付く】

そのつもりがなくても、鏡合わせになってしまっている

 そう、老後や介護、結婚や出産に悩む登場人物たちは、現実とリンクしてリアルすぎるのだ。そして、合わせ鏡のように、自分も無意識に何かやらかしてしまっているかもしれない、と己の潜在意識や偏見と向き合わせてもくれるのである。無神経な鳴海も、ひねくれている那須田も、昭和の価値観から動こうとしない父親も、互いに見下し合っていた伯母と母親も、読者にとっては「こうはなりたくない」ものでもあり、「もしかしたら、似たようなことをしてるかもしれない」と思わせてもくれる存在なのだ。

【檀家制度のざっくりした説明】

ちょっと知っているだけで、安心感が違う

 そのことを、「ひとりでしにたい」は独特の軽いノリとふわっとしたギャグを織り交ぜながら、真剣で軽やかに気付かせてくれる。その上で、終活に必要な行政や社会制度についても、ざっくり教えてくれるのだ。それは、未婚でも既婚でも、子ありでも子なしでも関係なく、令和の世を生きる現代人に等しく必要なことばかりだ。本作にも出てくる言葉だが、人間の結末は、いつかは分からないが、死であると決まっている。そこから目をそらさず、身近なことから準備することは、人生をより良くしてくれるに違いないと、「ひとりでしにたい」は教えてくれるのだ。