レビュー

最強吸血鬼と、人道を踏破した人間たちの血みどろの闘争「HELLSING」【「平野耕太☆大博覧會」特集前編】

「諸君、私は戦争が好きだ」など名言続出!ヒラコー節満載!

【HELLSING】
著者:平野耕太
ヤングキングアワーズ(少年画報社)にて1997年~2009年連載
既刊:10巻
【平野耕太☆大博覧會】
開催期間:3月27日~4月13日
会場:池袋・サンシャインシティ 展示ホールA
入場券:
2,100円(前売券)
2,300円(当日券)
音声ガイド:800円
「HELLSING」

【拡大画像へ】

 きたる3月27日より4月13日にかけて、池袋サンシャインシティにて異彩を放つ異才のマンガ家、平野耕太氏の「平野耕太☆大博覧會」が開催される。

 氏の直筆による原画の展示から、代表作である「HELLSING」、「ドリフターズ」の名シーンを造形、音声、映像で表現するという力の入れようで、まさにパーフェクト。感謝の極みである。公式HPによると少佐の演説傑作選を聞けるスポットも用意されているようで、作中の名(迷)言「諸君、私は戦争が大好きだ」を一時期出社のBGMにしていた著者としては、なにを置いても参集、参画したい。

「HELLSING」と「ドリフターズ」を中心とした展示会「平野耕太☆大博覧會」

 と、言われても平野耕太氏とその作品を知らない方には、なんのことやらだと思う。

 そこで、「平野耕太☆大博覧會」の開催を前に、平野氏の代表作であり、今回の展示會の目玉である「HELLSING」、「ドリフターズ」の2作を前後編に渡ってご紹介させていただきたい。前編にあたる本稿では「HELLSING」をメインにご紹介していく。

 平野耕太氏のマンガ世界の特徴は、強烈な個性の登場人物たちにある。彼らは互いに戦い、勝利し、または敗れるが、その闘争の結果の如何を問わず、全てのキャラが生き様、散り様を、我々読者に見せつける。善も悪もない、勧善懲悪の向こう側を俯瞰しつつも、なおかつキャラクターたちが熱狂のまま疾駆する様を描き切る稀有な作家、それが平野耕太である。

平野耕太、それは1990年代オタクの到達点

 平野耕太氏、通称ヒラコー氏の商業誌デビューは、1996年の「大同人物語」、それ以前にも同人誌や成人向け雑誌で作家活動を行なっていた。ブレイクのきっかけとなったのは、1998年からヤングキングアワーズにて連載を開始した「HELLSING」。

 同作は連載開始以降10年以上の歳月をかけ、2008年に完結。翌2009年から同ヤングキングアワーズにて「ドリフターズ」の連載を開始し、2025年現在も連載中である。ほかにも「進め!!聖学電脳研究部」、「以下略」、成人向け作品として「COYOTE」、「拝Hiテンション」が単行本として刊行されている。

 さて、平野耕太氏その人についてなのだが、この人、重度のオタクである。メジャーデビュー作である「大同人物語」からして、1990年代の同人バブル期の同人界の覇権を巡る、オタクたちの国盗り物語という、もうびっくりするくらいのオタクマンガだ。

 ノリがほぼ「HELLSING」と同じで、「君と同人になる、運命の男だ」とか「皇帝(カイゼル)になれる!カイゼルに!」などの厨二的セリフを、本当のオタクの人たちが真顔で言っていて、度肝を抜かれたことを覚えている。敢えて恥ずかしげもなく、大見得を切る、「HELLSING」に繋がるヒラコー節はこのときから見られていた。

 しかしながら、氏の持ち味である見栄を切った立ち絵や独特のコマ割りなどは、この当時から読者の目を惹きつける迫力を持っていたし、全てのキャラクターが魅力的に立っていた。作者都合によるものか、雑誌の都合によるものかは判然としないが、連載が途切れる形で、作品が終了している。もし連載が続いていたらと、読み返す度に惜しい気持ちになる。

「大同人物語」

 またこれは、あの迫害と蔑視の1990年代を生き抜いたオタクとして、平野耕太氏の宣言のような作品でもあると思う。迫害を受けながらもオタクであることを続ける覚悟と、同人誌に代表されるオタク文化を愛し、誇る姿勢が示された、最初期の重要な作品である。

 続けて「進め!!聖学電脳研究部」、「以下略」でも、1990年代オタク力を全開させ、読み手を置いてけぼりにしつつも、わかる人には、最高に楽しいという、まさにオタク的なコミュニケーションで読者を翻弄している。

「進め!!聖学電脳研究部」
「以下略」

 極めつけは、単行本恒例のあとがきマンガと表紙カバー裏の落書きである。そこに描かれているのは、マンガやゲーム、アニメ、ミリタリー、さらには映画や音楽などの超強火なオタク的妄想の書き殴りである。

 「HELLSING」あとがきでは、突然、映画「仁義なき戦い」の登場人物山守義雄を主人公だと宣言したり、同人誌でよくあるような異なるマンガの掛け合わせのダブルパロディを自作の「HELLSING」や「ドリフターズ」でやってみたり、「うろつき童子」の話をなんの脈絡もなく始めたりと、一部のサブカルオタクにだけ通じる作品群と専門用語の羅列連打は、もはやエニグマ、暗号である。

あとがきやカバー裏は概ねこのテイストのイラストとテンションで展開される

 ちなみに、カバー袖の著者プロフィールにも、この手の与太が記載してあるのだが、趣味の項は一貫して「いやがらせ」、「ちんこいじり」である。正直当時は「こりゃヤベェ人出てきたな」というのが第一印象だった。

 そんなヤバい1990年代オタクの到達点、または終着駅、平野耕太氏が面目躍如と世に放った作品、それが「HELLSING」である。

伝奇、オカルト、ミリタリー、サブカル、おまけに眼鏡。闇鍋的傑作「HELLSING」

 「HELLSING」は、先述したように1997年からヤングキングアワーズにて連載を開始している。

 本作の舞台は現代のイギリス。主人公アーカードは“大英帝国と国教を犯そうとする、反キリストの化物供を葬り去るため組織された特務機関”、王立国教騎士団「ヘルシング」に属する、吸血鬼を狩る吸血鬼である。実は、彼はブラム・ストーカー描くところの「吸血鬼ドラキュラ」その人であり、かつて自分を倒した、ヴァン・ヘルシング教授の末裔インテグラに強制的(その割には、結構楽しげ)に仕えさせられている。

 あるとき、何者かが作り出した簡易吸血鬼たちによる事件が多発。遂には最高幹部会議中のヘルシング本部に、吸血鬼とグールの一団による強襲を許してしまう。アーカードとセラス、ヘルシング家執事ウォルターの活躍により脅威を退けたものの、ほとんどの人員を失ったヘルシングは “このおとしまえを兆倍にして返す”ことを決意。

 これを機に、ヘルシングとアーカードは、一連の事態の黒幕である、生粋の戦争狂「少佐」率いるナチス残党の吸血鬼大隊「ラスト・バタリオン」、さらにはイギリスをカトリック圏へと帰還させようと目論む、バチカン所属のエクソシズム、異端弾圧、異郷殲滅のプロフェッショナル、「特務局第13課イスカリオテ機関」との三つ巴の激烈な闘争を繰り広げていくことになる。

 ……すごい。軽くあらすじを書いてみたのだけど、この時点で、設定が過積載だ。伝奇も、オカルトも、ミリタリーも全部ある。普通のマンガなら、アーカードの設定だけで、5巻分は話が作れるだろう。しかし、これは平野耕太氏のマンガなのである。ここから特濃のキャラクターたちが、雲霞のように登場してくる。

 さて、登場キャラクターとしてはアーカードの主人にしてヘルシング局長インテグラ・ヘルシング、アーカードの雑な判断で吸血鬼になってしまった不幸体質の元婦警セラス・ヴィクトリア、イギリスの秋せつらと言えばのヘルシング家執事ウォルター・C・ドルネーズ、この物語の陰の主役とも言えるチビで小太りな元SS士官「少佐」、特殊異能を持つ吸血鬼集団、戦鬼の徒ヴェアヴォルフ、「暴力を振るって良い相手は、悪魔供と異教徒共だけ」という極端な教育方針を持つ、暴力神父アレクサンド・アンデルセン、とその上司、天罰大好きっ子マクスウェルなどなど。さらに、恐るべきことにここにあげた作中人物の半分が眼鏡着用だ。

本作の主人公であり最強吸血鬼であるアーカード(後)と、ヘルシング家当主のインテグラ(前)
元婦警セラス・ヴィクトリア(前)。後ろは後半のキーキャラクター、ベルナドット隊長
「最後の大隊(ラスト・バタリオン)」の指揮官であり名言量産機の「少佐」
暴力神父アレクサンド・アンデルセン(前)とマクスウェル(後)

 あ、それと、ペンウッド卿。「無能だが、男の中の男」ペンウッド卿。SNSで、#男の子はこういうの好きなんでしょというお題が上がる度に、ペンウッド卿と答えてます。全ての男子はペンウッド卿が好きです。保証します。

 ペンウッド卿は全然メインキャラではないのだが、ある種、平野耕太イズムを象徴するようなキャラになっている。ほかにも、「ラスト・バタリオン」のマッドサイエンティスト、ドクや円卓会議の重鎮アイランズ卿など、魅力的なサブキャラがわんさと登場し、忘れらないセリフと活躍を見せる。

 ちなみに本作はアニメ化もされており、TV版とOVA版がある。著者としては、巷の評判通り、原作に忠実という以上に、ヒラコー汁の原液を煮詰めに煮詰めたOVA版の方をおすすめする。中田譲治さん、榊原良子さん、清川幻夢さん、飛田展男さん、若本規夫さんらの声優陣が本当に素晴らしく、平野耕太作品の肝の一つである、凝ったセリフ回しや名言を、ベテランたちの熱の入った演技で聞くことができる。

【HellsingOVAXPV】

 観た直後は、若本規夫さんテイストの「エイメン(=アーメン)」がしきりに口をついて出るようになるので、注意してほしい。またTV版は、アーカード、インテグラ、アンデルセンなどの主要キャラクターや物語の導入などは同じであるものの、後半からは原作とは違った展開も見せたり、アニメオリジナルのキャラクターも登場する。制作がゴンゾ、脚本が「serial experiments lain」の小中千昭さんであったりして、こちらはこちらで見所の多い作品となっている。

【TVアニメ「HELLSING」 OP映像 (石井妥師/ロゴスなきワールド )【NBCユニバーサルAnime✕Music30周年記念OP/ED毎日投稿企画】】

 特濃なのはキャラクターだけにとどまらない。アーカードの二丁の愛銃、ランチェスター大聖堂の銀十字錫を溶かした弾丸を無限に吐き出す白銀の454カスールカスタムオートマチック、もはや人類では扱えない代物と形容され、おっさんの精霊(CVは玄田哲章さん)まで付いてくる黒鉄の対化物戦闘用13mm拳銃ジャッカル。

 セラス・ヴィクトリアによって使用される、身の丈を超える長身の口径30mmの火砲ハルコンネン(こちらもおっさんの精霊付き、CVは石塚運昇さん)、成層圏ギリギリをマッハ3以上でフッ飛ぶ偵察機SR-71、「少佐」の騎乗艦たる飛行船デクス・ウキス・マキーネ。火器から乗り物に至るまでがモリモリに盛られている。架空の兵器でありながら、設定が詳細で本当にありそうな、それでいて厨二心をくすぐられる設定が満載である。

454カスールカスタムオートマチックと「ジャッカル」の二丁を装備するアーカード
セラスの武器、ハルコンネン

 この圧倒的な情報のつるべうちに我々読者は、なぜか気持ち良くなってしまう。超楽しい。なんというか、ランナーズハイや、ゾーンに入る感覚である。「HELLSING」、平野耕太氏のマンガは、ここまで過多な情報の詰め込みがありながら、リーダビリティが損なわれていない。さくさく読める。

 それは、世界観のオブジェクト一つ一つやキャラクター造形を文字でしつこく語るのではなく、絵力一発で表現しようとしているからだと思う。そしてなにより、キャラクターの魅力だ。先ほど挙げた人々が、大ゴマを使って、芝居がかったセリフ回しで見栄をきる姿を見ているうちに自然とページを捲り続けることになる。

 そう、このマンガはずっとかっこ良いのだ。キャラクターもガジェットも、セリフも全てかっこ良い。

 アーカードが強敵と戦う際、自分の真の能力を開放するために「拘束制御術式 第3号 第2号 第1号 開放」「『クロムウェル』発動による承認認識」とか言うのだけれど、作中では拘束制御術式がどういうものなのか具体的には明かされない。ただ、頭の横に手を構えるポーズや、そのときの呪文の詠唱なんかがあまりにかっこ良くて、読んでいてこっちはどんどん盛り上がる。そして、その後にアーカードが真っ黒になって無数の瞳が現われたり、百足や魔犬(名前はパスカヴィル、まんまだ)が飛び出したりしてくると、もうたまらない。

 そして、アーカードの反則的必殺技、拘束制御術式零号開放「死の河」。初見では、あまりの凄まじさに開いた口が塞がらなかった。吸血鬼が血を吸う意味とは?というテーマを極限まで突き詰めている。初代ヘルシング教授は、これにどうやって勝ったんだろうか?

クロムウェルの発動シーン。なお隣はアンデルセン神父の決めポーズとセリフで、こちらもかっこ良い
「死の河」の詠唱。これもかっこ良すぎる

 さらに、このマンガは悪役もかっこ良い。その筆頭はもちろん「少佐」殿だ。マンガ史に残る名悪役だと思っている。

 彼は「HELLSING」最大の敵役でありながら、低身長で肥満体、射撃は下手で、おまけに眼鏡。相方のドクに、「どうやって親衛隊入ったんだろう、この人」と言われる始末。他の登場人物との落差が酷い。にもかかわらず、圧倒的なカリスマ性がある。

 よくマンガでは、“カリスマ的な”という枕がついているキャラクターが登場するが、中でもこの「少佐」、このルックスでありながら、こちらが勝手にカリスマを感じてしまうという、ちょっと他では類をみないキャラ造形をしている。作中でカリスマ的などという言及も一切ない。

 狂人でありながら、自己認識がしっかりしているという、マンガ史上屈指の、複雑でタチの悪いパーソナリティーの持ち主である。魔界の軍団長のような口ぶりで戦争を語り、指揮能力だけで、配下の吸血鬼一個大隊を地獄に向かって進撃させる。ニヒリストでシニカル、それなのに誰よりも切実で誠実。戦争の全てを、勝利も敗北も、抜け駆け先討ちも、抗命も、愛でる。

 物語の最終盤、実は、この「少佐」が、作中で幾度となく言及され続ける「化物を倒すのは、いつだって人間」を体現する、本来なら主人公的な立ち位置の人物であることが明かされる。それが敵役として登場するのだから、平野耕太氏の剛腕ぶりが本当すごい。

 いかにして、最強の化物であるアーカードを、矮小な人間である自分が倒すことができるのか?その課題に、「ベルセルク」のガッツや「鬼滅の刃」の炭治郎のように、全身全霊で向かい合う。その超人的な真摯さ、ひたむきさが、倫理も道徳も超え、我々読者の心に否応なく、カリスマを感じさせてしてしまう。「HELLSING」という物語のエンジンは間違いなく彼だ。

 それが遺憾無く発揮されるのが、数々の名ゼリフ、名演説だ。古来より、アジテーションこそカリスマ性の発露である。

 「戦争交響曲が聞こえる」、「戦争の歓喜を無限に味わうために」、「さあ、諸君地獄を作るぞ」、「戦争の濁流の堰を切れ!!」、「もっと何かを!!まだあるはずだ!!まだどこかで戦える場所が!!まだどこかで戦える敵が!!」どうしたらこんな文字列が出てくるのか。平野耕太氏の言語センスには脱帽である。

 物語中盤から随所に見られる、配下の大隊とのセリフの掛け合いなど、さながらライブのコールアンドレスポンスである。大隊各員の少佐への心酔がすごい。人倫として良くないことなのだけど、読んでいるこちらもテンションが爆上がりに上がってしまう。

 特に出色であり、どうしても述べておきたいのは、有名なロンドン襲撃前の「私は戦争が好きだ」で始まる大演説シーン。これは是非、読んで体験してもらいたいので、引用は避けるが、ここで物語のギアが一段も、二段も上がることになる。

 原作では、ここはセリフがびっしりと書き込まれた印象的なシーンだが、OVA版アニメでは飛田展男さんが「少佐」を演じており、このシーンでは冴え冴えとして声色の底に熱量を感じさせるという、名人芸を見せている。アニメならではの演出であり、OVA「HELLSING」の白眉である。

 もちろん演説シーンに留まらず、アクションや作画、きめ絵などなど、魅力的なシーン、エピソードが数え切れないほど存在している。それ故、この「HELLSING」は破格の面白さと引き換えに、オタクが一度触れてしまうと、無限に語りが止まらないという重篤な副作用がある。

 また「HELLSING」の物語には、本編の前日譚「HELLSING外伝 THE DAWN」がある。大戦中が舞台で、アーカードや若かりし頃のウォルター、そして「少佐」率いる「ミレニアム」との邂逅、因縁が描かれている。かつてヤングキングアワーズの特別付録に収録された作品だが、こちらは残念なことに単行本未収録である。なにかの折に単行本に収録していただけないでしょうか。切に願います。

オタク要素の闇鍋「HELLSING」からのネクストレベル、最高の異世界バトルマンガ「ドリフターズ」!

 平野耕太氏が、マンガの持つ娯楽性を信じ、そのオタク人生でため込んだ、ありとあらゆるジャンルのエッセンスを闇鍋的に放り込み、氏一流の味付けで、読者に饗された作品、それが「HELLSING」であったように思う。

 その「HELLSING」も、2008年、単行本全10巻にて大団円を迎えた。筆者は連載開始から終了までほぼ10年をリアルタイムで追いかけ、個人的には大満足のマンガ体験だったと言える。未読の方にもぜひ読んでほしいマンガだと思う。

 ……そして「HELLSING」が終わり、「ドリフターズ」がはじまる。「HELLSING」完結直後の翌2009年、ヤングキングアワーズ誌上で「ドリフターズ」の連載が開始。後編では「HELLSING」に劣らぬ、類を見ない登場人物たちが跋扈する、2020年代最高の異世界バトルマンガ「ドリフターズ」について紹介してみたい。

「ドリフターズ」