レビュー
殺し屋が中学校に集結!?アサシン系学園コメディ「キルアオ」
アラフォーの殺し屋、体が小さくなって中学校に潜入!
2025年2月17日 00:00
- 【キルアオ】
- 週刊少年ジャンプにて連載中
- 著者:藤巻忠俊
「キルアオ」は、「黒の子バスケ」で人気を博した藤巻忠俊氏が、週刊少年ジャンプで連載している最新作だ。2024年に「全国書店員が選んだおすすめコミック」7位、「次にくるマンガ大賞 コミックス部門」10位を獲得している。
伝説の殺し屋、39歳の大狼十三(おおがみじゅうぞう)が、毒のせいで10代前半の姿になってしまい、中学校に通うことになる、学園アサシンやり直しコメディだ。授業や部活に忙しい普通の中学校生活を送りながら、暗殺業にも巻き込まれてしまう、振り幅の大きい十三の日々は、波乱に満ちていて目が離せない。
勉強の楽しさに目覚める十三、蜜岡ノレンの偽装彼氏に
“伝説の殺し屋”と名を馳せる大狼十三は、暗殺組織Z.O.O(ズー)に所属する、業界ナンバーワンの凄腕スナイパーだった。だが、ある事件で、ミツオカ製薬が遺伝子操作した生物兵器の蜂に刺され、体が10代前半の姿まで若返ってしまう。組織の化学班をもってしても、元に戻る方法は分からず、混乱する十三に、ボスがある提案する。それは、来年ボスの娘が入学する予定の六花(りっか)学園中学校に、実際に中学生として入学し、内部調査をすることだった。バツイチ子持ちの十三は、小学校までしか通っておらず、子供が苦手。だが、家と車のローン、養育費のため、嫌々ながら、その仕事を受けることにしたのだ。
見た目は中学生でも、中身はオジサン。十三は、学校で時代錯誤のヘマをしないように、インカムとカメラのついた眼鏡をかけ、組織での相棒でZ世代の猫田コタツのサポートを受ける。カタギのフリは出来ても、オジサン臭さがなかなか直せない十三は、同級生との外出にジャケットとクラッチバッグで出かけたり、ショッピングに百貨店に行こうとしたり、DVDやBlu-rayが減ってサブスクが主流になっていることを知らなかったりするのだ。
当然、世代間ギャップをすぐに埋められない十三は、クラスでは浮いた存在になる。だが、これまでの人生、授業などろくに聞いたことがなかった反動で、逆に勉強の楽しさに目覚めてしまう。宿題はもちろん予習、復習もばっちりこなし、どの教科も面白すぎてワクワクが止まらない状態になるのだ。
とはいえ、キラキラの中学1年生であるクラスメイトに馴染めるわけではなく、早く元の体に戻りたい十三は、同じクラスにミツオカ製薬の令嬢、蜜岡ノレンがいると分かり、接触を試みる。組織の化学班もお手上げの中、少しでもとっかかりが欲しかったのだ。
だが、文武両道、容姿端麗で大企業の社長令嬢であるノレンは、1日に何人もの男子たちから告白されるほどモテて、中学生ながら社交の場でもう結婚相手を紹介されるなどして、かえって筋金入りの男嫌いになっていた。十三も一言話しかけただけで「キモい」と冷たくあしらわれてしまう。
立つ瀬がない十三だったが、たまたま入ったラーメン店が、ノレンの叔父の店で、手伝うノレンと鉢合わせたことがきっかけで、距離が縮まる。また、必ず何かの部活に入らなければならないルールの中で、十三とノレンは偶然同じ家庭科部に入部した。
ミツオカ製薬の秘密を得るため、殺し屋たちが学園に集結
十三がノレンの偽装彼氏となったことで、ノレンに近付く男子たちの数はかなり減少した。しかし、だからといってこれで平穏な学校生活が送れるようにはならなかった。ノレンの父親は、偽装彼氏の十三を正式な婚約者とみなし、婚約者は、その座をかけた決闘を申し込まれたら必ず受けなければならないというルールを制定した。決闘に負けてしまうと、婚約者は自動的に交代させられるのだ。勝負の内容は、申し込んだ者が自由に決めていいことになっており、この決闘はその名をミツオカ決闘と呼ばれることとなる。一連のルールに、ノレンの意志は全く関係していないが、何故ミツオカ製薬の社長が、ノレンの結婚相手に会社を継がせることにしたのか、婚約者の座を巡って争うようなシステムにしたのか、その真意は不明である。
ミツオカ製薬が、ただの大企業というなら、それほど大きな問題ではなかったかもしれない。だが、十三の体を10代前半の姿に変えた、生物兵器の蜂の研究と、若返りの新薬の極秘情報は、裏社会の連中も狙っており、その秘密は、ノレンが握っているという情報が秘かに出回っていた。ノレン自身は、父親の仕事のことは何一つ知らず、秘密裏に開発されている薬のことも全く聞いていない。だが、何らかの形で、ノレンが十三を若返らせた蜂の秘密を持っているということは、間違いないようであった。そのため、裏社会の連中も、婚約者の座を狙って六花学園に集まるようになる。
最初に現れたのは、普通に転校生として十三と同じクラスにやってきた、古波鮫(こはざめ)シンだ。暗殺業界では2番目に大きい組織、魚缸(ユイガン)から派遣された、常におしゃぶりを咥えている変わり者の殺し屋だ。十三に、1時間以内におしゃぶりを咥えさせたら勝ち、という一風変わった決闘を申し込むも、最強の殺し屋だった十三の前に呆気なく敗北した。
その次は、業界最大手の組織、JARDIN(ハルディン)の最高ランクの殺し屋で、共にまだ中学生の兄弟、竜胆(りんどう)カズマと竜胆エイジだ。二人はノレンを新国立競技場に誘拐し、催眠術でノレンの心を操ろうとした。だが、十三の拳銃のテクニックと機転で、スタジアムはボロボロになったがノレンを取り返すことに成功した。十三に敗北を喫し、兄のカズマは弟だけでも助けてほしいと命乞いをする。殺し屋として標的が女・子供・一般人の依頼は受けてこなかった十三は、竜胆兄弟にもとどめを刺さなかった。兄弟はその後、JARDINの手配で六花学園に転校してくる。無論、目的はノレンではあるのだが、一度敗れた手前、当分保留で様子見を続けている。
これで、六花学園には十三を含めて殺し屋が4人集結していることになるのだが、ノレンが握っているというミツオカ製薬の秘密は謎のまま。そこでJARDINのボスである桜花陽一郎は、直属の部下を手配し、家庭科部全員が十三の家に遊びに来たタイミングで、ノレンを含めて全員を観光バスに拉致してしまう。ノレン以外は全員事故死に見せかけて始末する計画の残忍さに、十三は逆上し、死線をくぐる戦いに挑んだ。手こずったJARDINは、ボスである陽一郎が自ら戦いの場にやってくる。陽一郎は、見た目は爽やかな好青年だが、その中身は、相手が中学生であっても、心を壊す人体改造を厭わない、残虐な人間だった。そして、十三が左手に持つ、純弾で純弾を撃ち落とす超精度の拳銃のテクニックを、陽一郎は両手に持っていた。まさに現役最強の殺し屋として君臨している陽一郎だったが、それでも、大切なものを二度と手放さないと決めた十三に敗れるのだった。
だが、これで一件落着とならないのが、裏社会の闇深さである。隙を見て逃げ出していた陽一郎は、次なる手を打っていた。それが、なんと自らが六花学園の校長に就任することであった。2学期から、陽一郎は校長に、4人の直属の部下もそれぞれ副校長と教師になり、ノレンの秘密を狙っていく。学校に一人いてもおかしい殺し屋が、六花学園に集結し、十三の波乱の学校生活は続いている。
不穏な暗殺者たちと、キラキラの中学生たちのコントラスト
ミツオカ製薬の秘密を得るために、殺し屋たちが集結してしまった六花学園。だが暗殺業は裏稼業であり、校長の陽一郎も含め、普段は皆隠して生活しており、一見平穏なスクールライフを展開している。これまで説明してきた不穏さとのギャップで風邪引きそうなぐらい、十三とその周囲は学校生活を謳歌しているのだ。勉強はもちろんのこと、部活動にデート、海合宿に中間試験、三者面談に夏休み。十三も、若かりし頃に経験しなかった青春を取り戻すがごとく、最初は付き合い程度だったはずが、だんだん本腰を入れて学校生活を満喫するようになり、2学期の文化祭の頃には、家庭科部の一員として、出店の売上アップに本気になってしまうほどになった。
マンガ「キルアオ」の魅力の1つは、このキラキラの日常と殺伐とした裏社会の緩急にあるだろう。ファンの中には、ずっと日常のワチャワチャだけを見ていたい、という意見も散見されるが、生死を分けるようなヒリつく戦闘の緊張感があってこそ、緩い日常の癒しと笑いが輝くのだと筆者は思う。
たとえば、ミツオカ決闘のため、サーフィンをすることになった十三は、家庭科部の応援で共に海合宿で特訓することになるのだが、直前の竜胆兄弟との戦いに比べると、スポーツでの勝負がいかに平和で爽快感があるかを思い知らされる。どんな試行錯誤をしても、当たり前だが死なないのだ。十三もこのウキウキに、老後にサーフィンやってもいいな!とテンションが上がるほどである。
そして、家庭科部の先輩たちも、一見地味で大人しそうでありながら、しっかり個性があって熱い仲間意識があるのも味があっていい。海合宿では、顧問特製のパンを巡って本気の「絶対に声を出してはいけない!学校警備員」なる余興に取り組み、文化祭では売上1位を目指してパンと制服をヤクザ顔負けに気合入れて作り込む気迫があり、見た目に派手さはないのに謎の強キャラ感を出すのがまた面白いのだ。ここも、癖が強すぎる殺し屋たちとの対比になっていて、振り幅とコントラストに清々しい笑いがある。
他にも、戦闘の規模が段違いで大きかった、家庭科部全員誘拐事件で、JARDINのボスの桜花陽一郎と直接対決した翌日、十三は散歩がてらに、人生で初めて図書館を訪れる話がある。そこで、よく勉強を教えてくれるクラスメイトに会い、彼お勧めの本を借り、穏やかな夏休み初日を過ごすのだが、生きるか死ぬかの殺し合いをした直後だからこそ、その静けさと平和、同級生とのやり取りがいっそう微笑ましく思えるのだ。
殺気際立つ殺し屋たちとのしのぎを削る戦いと、オジサンの十三が中学校生活をやり直して青春を味わうこと。そのコントラストがそれぞれ相互に引き立て合っている。どちらの要素も「キルアオ」になくてはならないものなのだ。
十三は体が小さくなった今も、殺し屋としての自負があり、自分は本来ならこんなキラキラした中学校になんかいていい存在ではないと思っている。勉強の楽しさに目覚め、家庭科部の一員として部活動をはりきり、学校生活をエンジョイしてはいても、ときどき、同級生たちの存在が眩しくて見れないことがあるという。それもそうだろう、当たり前だが彼らは本物の中学生で、あらゆる可能性の詰まった輝かしい未来がある。殺し屋という究極の裏稼業に身を投じた中年の十三とはわけが違う。では、このことも「キルアオ」の対比の表現になっているのだろうか。正直、それは読み手側の各々の判断に委ねられている、と筆者は思う。
緩急とコントラスト。それはシリアスとコメディ、命を削る戦闘と学校生活、殺し屋と青春、と様々な要素が織り成している。だが、中年のオジサンと、中学生という枠組みでみると、果たしてそれは本当に対になっているのだろうか。作中、十三は何度も同級生たちから生きる教訓を得ている。どちらが大人か子供か分からないな、とさえ思っているのだ。そして、中学生が未来と可能性を秘めているのと同じように、自分にももしかして、殺し屋以外の未来があるのかもしれない、と十三は気付き始める。そう考えると、中年と中学生は対照的な存在と言えないのかもしれない。読む人にとっては、それは対照ではなく、対等にもなりえることを、「キルアオ」はあるゆるコントラストの中で示唆してくれている。
筆者は、あらゆる年代の人に是非「キルアオ」を読んでみてほしいと思っている。そして、不穏なアサシンとキラキラの中学生たちの緩急とコントラストから、オジサンと中学生の対比の妙を、自分なりに読み解いてほしいと願っている。