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連載終了もまだまだ熱の冷めやらぬ「呪術廻戦」が連載開始から7周年

本作を「ジャンプ」の看板へと押し上げた立役者・五条悟が持つ2つの“引力”

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 集英社の「週刊少年ジャンプ」から生まれた芥見下々氏のマンガ「呪術廻戦」は連載開始から7周年を迎えた。本作は、人の感情から生まれる超常的な怪異・呪霊と、それを祓い人間社会の秩序を取り持つ呪術師との終わりなき戦いを描いた作品で、「週刊少年ジャンプ」にて2018年から2024年にかけて連載され、看板作品として人気を博した。

 アニメ化に関しては飛ぶ鳥を落とす勢いの制作会社・MAPPAより2度のTVシリーズと劇場版が制作され、本編のクライマックスへの入口となる「死滅回遊編」が第3期として放送されることも発表済み。また5月には、本作を代表するキャラクター・五条悟の学生時代を詳らかにしたアニメ「懐玉・玉折」が劇場総集編として上映されることも決まっている。

映画「懐玉・玉折」は2025年公開予定

 「呪術廻戦」の周年にあわせて、何を語るべきかと思案しながらコミックスを読み返していたところ、やはり五条悟について改めて触れなければならない(前述した「懐玉・玉折」の劇場上映も近い)と感じた。本作が取り扱うテーマや作品性については、読者や視聴者それぞれの解釈や想いがあって然るべきだが、その人気に火をつけたのは五条悟の存在によるところが大きいのは間違いないだろう。この記事では、そんな「呪術廻戦」を不動の人気作へと押し上げた立役者・五条悟について振り返っていきたい。なお、コミックス最終巻までの内容についても触れていくため、ネタバレ注意だ。

 なお、本作のあらすじや登場キャラクター、さらには印象深い名台詞について紹介する記事も掲載しているので、気になる方はあわせてチェックしてほしい。物語の最終局面についても紹介する内容となっている。

徹頭徹尾揺るがぬ“最強”

 五条悟とは、「呪術廻戦」の主人公ではない。呪術師を育成する公的な教育機関・呪術高等専門学校(呪術高専)に勤め、主人公・虎杖悠仁ら1年生を受け持つ担任教師だ。本作の内容にまったく触れたことがなくても、彼のビジュアルを見たことはある、という人は多いのではないだろうか。類稀なる長身と逆立てた銀髪、さらにバンテージのようなものですっかりと視界を覆い隠しており、その風貌は異様の一言。一般人として育った虎杖が足を踏み入れていく呪術師の世界、そしてその様を見守っていく読者にとっての非日常を体現しているかのようだ。

「五条悟」(TVアニメ「呪術廻戦」の公式ページより)

 後々明かされていくことだが、呪術界にはその社会において長い歴史と影響力を持つ御三家が存在し、五条悟はそのうちのひとつ、五条家の当主である。呪術師には、バトルマンガにとっての“特殊能力”にあたる術式が生来的に備わって(術式を持たない術師もいる)おり、その種類を作為的に選ぶことはできないのだが、ある程度遺伝的に発現することも明かされている。

 五条悟が持つのは、五条家相伝の「無下限呪術」。呪力を使用することで、術者が有意に「無限」を具現化させることができるという術式……というのが紋切り型の説明だが、少々難解になってしまっている。作中では、敵との体や放たれた攻撃と自分との間に「無限」を生み出して永遠に触れられない状態を作ったり、相手を引き寄せる力(術式順転「蒼」)、相手を弾く力(術式反転「赫」)、その両方を衝突させて発生した仮想の質量を利用する攻撃(虚式「茈」)などが披露されている。要は空間を支配するに等しい能力であり、自他ともに認める最強の術師が五条悟という訳だ。

 この手の最強を自称するキャラクターは、なんやかんやで成長した主人公や、後に現れる強大な敵などによって超克されるというのがマンガ的なお約束だが、五条悟に至っては最後まで格が落ちなかったという点がユニークだ。彼の名台詞「大丈夫 僕 最強だから」は初登場した第2話で放たれたもので、それ以降、本作の最終局面まで名実ともに最強であり続けた。そんな容赦ないほどの最強として君臨し続けた点が、五条悟の持つ大きな魅力のひとつだ。

最終局面である人外魔境新宿決戦にて、五条悟は伏黒恵の肉体を得た宿儺に敗北してしまう

人間離れした力を持ちながら、時折見せる誰よりも人間臭い顔

 では、そんな“最強”である五条悟がいながら、「呪術廻戦」の物語はどのように深刻化していくのか? とある目的のため、強力な呪霊たちと組み暗躍する本作の黒幕・羂索(けんじゃく)の策略によって、「渋谷事変」と呼ばれる出来事のさなか、五条悟は封印状態へと陥る。それを実現した呪具・獄門疆(ごくもんきょう)の使用には対象を半径4m以内に1分間留めておかなくてはならないというものだったが、そのための切り札として羂索が用意していたのが、五条悟の無二の友であり、死んだはずの夏油傑(げとうすぐる)の肉体だった。

 普段は自身の力に絶対的な自信を持ち、あっけらかんとしている五条悟が、この時ばかりは混乱し、羂索の狙い通り封印される事態を許してしまう。人間離れした力を持ちながら、時折見せる誰よりも人間臭い顔。これが五条悟が持つ大きな魅力、そのもうひとつだろう。

 「懐玉・玉折」での出来事を経て、“最強”として完成した五条悟。しかし、術師を取り巻く過酷な状況からの脱却のため、非術師を皆殺しにするという選択をした夏油を留めることはできなかった。そんな経験からか、呪術の最奥である領域展開を初披露した際のセリフ「皮肉だよね 全てを与えられると何もできず 緩やかに死ぬなんて」からは、どこか万能であることに対する自嘲を滲ませるようなところがある。

 自分ひとりが最強になったところで、そしてそんな自分が力任せに事を推し進めたところで、夏油を苦しめた呪術界は何も変わらない。そう悟った五条悟は、強く聡い仲間を育てるため、教育という道を選んだ。自分が最強であることに絶対の自信はあるが、それで全てが解決するとは思っていない。この二面性が読者を惹きつけたのだろうと思う。

自ら手を下した親友・夏油傑の肉体は羂索に奪われており、その姿を目にしたことが獄門疆への封印を許すことになった

五条悟は人を呪わない

 実は、この記事を書こうと決心するに至ったとあるシーンがある。ジャンプ本誌連載終了後、コミックス最終巻となる第30巻に追加収録されたエピローグにて、虎杖の回想に登場した五条悟が放った「もう五条悟とかどーでもよくない?」というセリフから始まる一連のシーンだ。

 五条悟が宿儺に敗北し死亡した後も、多くの読者の関心は五条悟に向いていた(無理もないが)ように思う。事実、五条悟はその後も回想という形でたびたび登場していたし、羂索の術式をコピーした乙骨憂太がその肉体を使用するなど、退場後も大きな影響を与えていた。

 ここからはあくまで筆者の感想だが、そんな状況は作者も読者も、五条悟の死にしっかりと区切りがつけられていない、ある種の“呪い”になっているという見方もできるなと感じていた。「もう五条悟とかどーでもよくない?」というセリフは、そんな呪いを解くための一言のように思えてならなかった。五条悟は、夏油との別れの際も「最期くらい呪いの言葉を吐けよ」と言われている。五条悟は夏油を呪わなかったのだ。作中でも言及されている通り、五条悟にとって人間とは花の如き存在であり、呪う対象ではないという一貫性が最後に示されたように感じた。

 原作の連載は終了となったが、今後映像化されるであろうアニメの五条悟とまた会える日が楽しみだ。

「花を愛でることはできても、その気持ちを理解することはできない」と語った五条悟
Prime Videoで視聴